うわごと

僕のマリ

どんなときも完璧で誰からも愛されて

鹿児島に住む従姉妹に電話した。

12人いるいとこのなかで一番仲が良くて、幼い頃はよく一緒に遊んだものだ。わたしより9歳年上の彼女は、数年前夫の浮気がきっかけで離婚して、いまは20歳年上の男性と再婚して、事務の仕事をして暮らしているらしい。

 

普段は親族とまるっきり連絡をとらないが、唯一連絡先を知っているのはその従姉妹だったので電話してみた。

ワンコールですぐに繋がり、「もしもし?」と懐かしい声が響く。「マリよ」と名前を告げると大層驚いていた。強い南訛りで「どうした〜?」と聞くので、叔母の連絡先を教えて、とお願いした。

 

先日自宅にマスクが届いた。新型肺炎の対策ではなく、わたしは昔から花粉症なのでマスクが欲しかった。鹿児島では手に入ったようで、母伝いに叔母がマスクを送ってくれた。色は白かピンクどちらがいい?と聞かれ、どちらでも、と答えたらピンク色のマスクが届いた。

そのお礼を伝えるべく電話をしたかったのだが、実家に電話しても誰も出なかったので、従姉妹に叔母の連絡先を聞いた。わたしはとにかく忘れっぽいので、思いついたらすぐに済ませておきたい。

 

という旨を従姉妹に説明すると、「ああ〜、いいよ」とすぐに叔母の携帯番号を教えてくれた。「元気にしとんね?」という問いに「もちろんよ」と答えると、すかさず「彼氏は?」と質問された。

こういう質問は、とにかく面倒なので適当に答える。「いる」と答えたら年齢や職業や馴れ初めを一通り話さなければならないし、「いない」と答えれば「結婚したくないの?」と追及されてしまう。

はぐらかして、「いないよ、でも明日は明日の風が吹くけんね、わからんよ」と笑い飛ばす。電話口の彼女は爆笑している。「マリ〜、相変わらずあんたおもしろーい」と机をたたく音が聞こえた。「好きな人とかおらんのね」という問いには「みんな好き〜」と応戦した。

 

話題を変えて、従姉妹が飼っている犬の話や、祖母の話をした。「ゆめが死んじゃった」とぽつり呟く声は、どこまでも能天気なイントネーションで胸を突かれた。「いまはー、ラムと、チョコと、モコがいるさ」と三頭の犬の名前を教えてくれた。「ほとんど食べ物の名前やん」と言うと、少し笑ってくれた。

 

従姉妹はいま37歳で、子供はいない。

母が「あの子、子供好きやのになあ。産まんのかいな」と心配していた。再婚相手は母や叔母と同年代で、二人の結婚は反対されていたが、いまは幸せそうに暮らしている。それでいいと、わたしは思っている。

 

「いま何してんの」と聞かれ、部屋の掃除をしてたんだと答えた。夕飯時だったので、電話越しの従姉妹は夫が釣ってきたアジフライを食べていると言った。夕飯どうすんの、と聞かれて、「さあ?松屋にでも行こうかな」と答えたらまた爆笑されてしまった。なんで笑ったのか全然わからなくて、「なんで?」と聞くと、ひいひい言いながら「だって、一人で松屋って!」と笑っている。鹿児島には松屋ないの?と聞くと「ない、吉野家とかすき家はある」と教えてくれた。行かないのか、と聞くと、一人では行かないよと笑われた。

「マーリ!あんた勇気あーるー!」と笑い続ける彼女に一瞬閉口するも、「自炊せんけん」と弁解する。「自炊せんけん、松屋とか、お惣菜とか、マックとかね、まあ適当に食べるんよ」と説明しても、「でも松屋は行かれん〜」と言っていた。自分の日常がそこまで笑われることに驚きながらも、「別に一人で松屋行ったところで誰も見らん」と教えた。

 

でも、だけど、これはわたしが住んでいる地域の話で、鹿児島の田舎だったら、違うのかもしれない。誰がどこで何してた、そのくらいしか、話すことがないのかもしれない。興味の矛先が無いのかもしれない。そんなことを思うと、ただただ悲しきピエロになるしかなくって、「やっぱ王将でビールと餃子!」と言ってみた。電話口から、二人分の笑い声が聞こえる。

 

叔母に電話をして、三度目でやっと繋がる。

「もしもし…?」という声がどこまでも怯えていたので「マリよ」と告げると「なんだ〜どないしたん」と、あっけらかんとした関西弁になった。

「マスク!マスクありがとうね、東京ではもう買えんしね、ありがとう」と伝えると「どうってことないで」と笑っていた。

鹿児島の田舎でも毎朝薬局に人が並んどってな、よう並ぶわほんまコロナより桜島の灰のほうが迷惑やし、テレビは毎日毎日コロナのニュースや、もうかなわんわ〜、ほんま!東京はどないなってんの?あんた仕事大丈夫?と叔母がまくしたてる。

 

「東京はね、」もうめちゃくちゃ、みんなパニックになっとるけんね、駅とかもあんま人がおらんかったりでちょっと気持ち悪いときあるね、あの震災のときみたいや、でもわたしは電車乗らんし、仕事も多分大丈夫、そげん心配せんでもね、手洗いうがいして食べて寝たらええけん。

 

「よかったー、あんた元気そうならおばちゃんも安心やわ」

愛情、それ以外に例えようのない感情が声に滲んでいた。あっけらかんとした性格の叔母は、すぐ泣き、強く怒り、よく笑う子供時代のわたしを、とてもよく可愛がってくれた。子供ながらに、叔母にはすべて見透かされている、といつも思っていて、それが恥ずかしいこともあった。

 

五月の兄の結婚式の話になった。

「昨年は長男、今年は次男!あんたら結婚式ばっかで、おばちゃん痩せる暇ないがな」と笑わせてくる。確かに、長兄の結婚式のとき、引っ張り出してきた礼服がきついと嘆いていたことを思い出した。兄達は確かに、予兆を全く見せることなく突然結婚して、親族を驚かせていた。それまでは「もうええ歳やのに、お兄ちゃんたちはお嫁さんこんね」とずっと言われていたから、兄達は兄達で肩の荷が降りたかな、と思う。

 

「あとはまーちゃんやね」

楽しみだと言わんばかりの声色で叔母がささやく。あー、と濁しているあいだにも「あんた予定ないん」と畳み掛ける。

 

叔母の話し方は特殊で、バリバリの大阪弁と、鹿児島の訛りが混在している。なんとなく、やさしい気持ちのとき、南訛りになっている気がする。東京に十年住み、標準語に慣れたわたしには随分素っ頓狂に感じるが、懐かしくて好きだ。鹿児島のイントネーションで、やさしいやさしい声色で、叔母は言った。

 

「まーちゃんがお嫁さん行ったら寂しくなるねえ」

 

咄嗟に思ったことを口走る。

「え?わたしは18歳から実家でとるやんか、今更なにがよ」

「えー、でも、女の子は、嫁ぐやんか」

「嫁にいく、つったってさ、わたしはそもそも誰のものでもないんよ」

 

一瞬の間があった。

あまりにも本質を突いてしまったか、と思うも、それは杞憂で、叔母はあまりピンときていないようだった。いつもわたしは冗談ばかり言っていたから、きっと軽口を叩いただけだと思われているのだろう。

 

でも、そう思っているのは本当で、きっとこれから先も同じようなことを言われたら、同じことを言うと思う、だってわたしにも感情や意志があって、どう生きたいとか誰と暮らしたいとか決める権限もあるし、結婚しなくたって、子供を産まなくたって、それは自分で全部決めることなのだから、たとえ血が繋がっていたって、成人して自活している以上は誰の所有物でもないんだ、

 

ダメかなあ、煙草吸って、酒を飲んで、一人で飲食店に行くことが、そんなにいけないことなの、誰か嫌な思いをする人はいるかな、どんな迷惑がかかるのかな、なんで嫌なのかな、聞いたら教えてくれる?

お嫁にいけたら幸せなのかなあ、わたしいま、自分でお金稼いで、友達もたくさんいて、好きなことして、大切なものがあって、毎日幸せなんだけど、ずっとそうやって東京で生きてきたんだけど、それでも、まだやっぱり違うの?

 

聞きたい、聞いてみたい、答えがなくてもいいし、正解なんてなくてもいいよね、誰も悪くなんかないよ、喧嘩したくないよ、でも、こんなこと聞いたら、わたしってやっぱり変なのかなあ、変だったら嫌?

 

「たとえば、」と言って口をつぐむ。

わたしが同性愛者だったら、子供が産めない身体だったら。それでも、あなたは、わたしのこと愛してくれる?

 

なんて言うのは酷だから、びっくりさせるから、だってせっかく幸せな話をしていたのだから、と思い直し、

 

「超お金持ちと結婚して、みんなで旅行するのどお?わたし意外とかわいいし、明日には突然プロポーズされちゃうかも!」とおどけてみた。

電話越しの叔母が「うわー!ほな連れてってもらうわ〜、犬も一緒にええか?」と応戦した。二人でワハハと笑う。たくさん笑って、しあわせ、しあわせ。

 

「まーちゃん身体に気いつけるんよ、ちゃんと食べてな、結婚式で会えるん楽しみやなあ、番号登録しとくけんな、また電話しいや」

 

本気でそう思ってくれている声だった。

 

「うん、おばちゃんも身体気いつけてな、マスク本当にありがとう」

 

そう言って電話を切った。

 

しけもくの山が、磨いたばかりのシンクと不釣り合いで、しばらくぼーっと眺めていた。

ああ、そうだ、さっきまで掃除をしてたんだ、と思い出してシーツを洗うことにした。この前うっかり化粧をしたまま寝てしまったから、ちょこんとついた赤い口紅の跡がずっと気になっていたのだ。

白いシーツに漂白剤入りの石鹸をつけて、少し荒れた手で何度もこすった。力を込めてこすっても、なかなか汚れがとれなくて、でもその赤がずっと気になって、取らなくちゃと思って、バサバサになる指先なんかどうでもよくって、わたしは、何度も、何度も、何度も、