うわごと

僕のマリ

それさえも色褪せていくと思ったら負け

いままで使ってなかったAppleMusicになんとなく手を出してみたらその便利さに気づき、先週から色々と懐かしい音楽を掘り出している。ずっとiPodclassicを使っていたのだが、そういえばみんな化石を見るような目で見ていたなと独り言つ。使っているiPhoneもいにしえのSEなので「電源ボタンが上にあるー!」とびっくりされてしまうことが多い。わたしだってカメラのレンズが三つもあるiPhoneにびびっているのだから、あんまり騒がないで欲しい。機種変は面倒くさいしアプリもそんなに使っていないので、友人からは「らくらくスマホにしなよ」という助言を受ける。嫌だよ。親友がケータイの会社で働いているのですべて任せることにした。頼りになる。近頃電源がすぐ落ちるので、もうすぐ機種変することになりそうだ。持ちやすければなんでもいい。

 

こんなに晴れた日曜日はスピッツに限る、と窓の外を眺めながらずっと草野マサムネの歌声を聴いていたら、案の定澄んだ気持ちになってしまった。以前レンタルさんが依頼で同行したスピッツのライブの感想を「良さで疲れた」と呟いていたのも頷ける。的確な表現だと思った。良すぎても、それはそれで他のことが手につかない。そう、今日は一日の大半を音楽を聴く行為に費やしたのだ。多分六時間くらいは、ただ音楽を聴いていた。しかしそれだけではとどまらず、収納からベースを出して取り憑かれたように弾いた。しばらく弾いていなかったのであんまり覚えてないかもしれないと思ったけれど、感覚を取り戻してからは早かった。指がきちんと覚えていたので三時間本気でずっと弾いていた。おかげさまで気づいたら日が暮れていたし、かなり疲れた。でもこれは良い疲れ。

学生時代ずっとバンドをやっていたので(主にベース)、楽器が手に馴染むし改めて音楽が好きだと感じる。聴くのも好きだけど弾くのも好き。読み書きもこれに同じ。わたしの楽器の力量は、多分文章力と同じ程度だと思う。同じような熱の注ぎ方だったから、同じくらいの温度だろう。高校生のときに買ったベースはフェンダーUSAで、当時の自分にはすこし高かったけど後悔していない。好みの太くて真っ直ぐな音が出る。愛器。愛器なのに、ぶん投げたりこけたり突っ込んだりして、ボディに少しひびが入っている。愛器だから、血も涙も滲んでる。あまりにも青春だったから、ごめんね。

 

部活では本当に色々なバンドをコピーした。なかでもナンバーガールスーパーカーくるりなど、あの世代が多かった記憶。ちょっと難しいけど楽しかったのはandymori。もう一回コピバンやりたい。サンボマスターも最高だったし、モーモールルギャバンも「ユキちゃんの遺伝子」でワウ踏んで楽しかった。チャットモンチーはベースボーカルだった。くみこんの素晴らしい詩に毎度泣けた。「LastLoveLetter」を卒業する好きな先輩の目の前で演奏したとき、たった三分間のあいだに何度も泣きそうになって、そのたびに涙を振り払うようにあのリフを弾いた。「あれベース弾きながら歌えるのすごくない?」と打ち上げの席で言われたけれど、そんなことより泣かなかったほうがすごいでしょうと思う。「涙は人に見られて初めて輝き出すのです。」

 

 

七時間スタジオで歌い続けても枯れない喉、はもう無いかもしれない。どうしてあんなことが出来たのだろう。文化系なのに体力お化けだった。今はもう、あの頃ほどの体力はないから、弾きながら歌うのも難しいしれない。でも、熱が醒めないうちは大丈夫だと思っている。
MASS OF THE FERMENTING DREGSというバンド(通称マスドレ)のコピバンのベースボーカルが、本当に全力で演奏できて楽しかった。スリーピースで、ベースがコードを弾くのがちょっと珍しい感じで、それが新鮮で「かき鳴らして」いた。声域も自分に近いのか歌いやすくて気持ちよかった。今日はそのときのことをずっと考えて、静かに熱狂していた日だった。「ワールドイズユアーズ」という短い曲が、いまの自分の気持ちに寄り添っている。昔より歌いっぷりが良くなってる気がする。

 

https://youtu.be/qBfaDSKSzzE

 

基本的にエフェクター無し(たまに歪ませる時はサンズアンプ)、男のアン直スタイルがわたしの好みだった。素の音がいちばん良い。今日この日、また音楽への熱が再浮上して心がせわしない。


そういえばいつも、がに股でベースを弾いて歌ってた。漏れ出す情動を音に変えて放出する気持ちよさを忘れていた。裸足でステージに立っていた日々が、なんだか昨日のようのことに思える。