咲いても、喜びすぎないから
喫茶店で斜向かいの席に知り合いが座ってきたので、テーブルに生けてある百合の花で顔を隠している。世間は狭く、百合は強く香っている。
週に一回、ネットプリントに文章をアップロードすることにした。
100%のエッセイを読み切り方式で書いている。
普段自分ことをあまり人に話さないので、膿を出すように、物凄くすらすらと言葉が出てくる。
あまりにも明け透けに書いたので、「秘密の日記を盗み読んでいる気分になる」と言われた。それでいい。
わたしの周りの人は、わたしが文学フリマに出たり文章を書いたりしていることを知らない。
家族はわたしが東京で何をして暮らしているのかさえも知らない。でもそれでいい。兄達だけは立派に、優秀に育った。それで十分だと思う。
一年前に、出版社で働いてる人と飲んでいて、酔った勢いでつい、文学フリマに出ようと思っています、と溢した。
その人もひどくベロベロになっていたので、明日にはどうせ覚えてないと思うし、話半分に聞いてくれればいいと思った。
その時は全く別のことを書こうと思っていて、何気なくその事を話したら、「どうして?あなた自身のことを書きなさい」と強い眼差しで言われた。
「あなたがきっと今感じてる生きづらさとか感じやすさとか、そういうことを書きなさい、絶対にその方がいい」
絶句した。生きづらいとも感じやすいとも打ち明けたことはなかった。
でもそれは確かなことだった。
気づいたら涙がボロボロと流れていた。
「ほら、そうなんでしょ。あなたならきっと出来るから一生懸命書きなさい、書くことをやめちゃだめだよ」と言われてもっと泣いた。
いつになっても、この時のことをずっと覚えていると思う。
文学を専攻していた大学時代、授業で教授が「茉莉なんて名前はね、その時代としてはとんでもないDQNネームだったんですよ」と言っていた。
わたしもマリという名前でよかった。