うわごと

僕のマリ

好きだけど愛せやしない

真夏でも氷のようにつめたい手足が、いま、感覚を失っている。熱い湯を沸かしながら部屋のオレンジの光をつけて、何度も何度も聴いたギターの音をなぞる。入浴剤はラベンダーがいい。淡いむらさきの色が好きだから。

 

私小説『いかれた慕情』を出してから一年が経とうとしている。執筆から入稿まで三週間で仕上げたあの同人誌は、全部書き終わったあとにタイトルを付けた。

この一年は本当に激動の年だったように思う。知り合いも増えたし友だちもできた。自分のなかに眠る暗さや激しさ、核のようなところをわかってもらえる人なら、歩み寄る勇気も出た。

 

あれから一年、今回また「僕のマリ」名義で一冊新刊を出す。自分ひとりだったら出来なかったかもしれない。書くことは好きだけど、「形にする」ことが悉く苦手だった。そんなときに千葉の本屋lighthouseの店主、関口竜平さんから声をかけていただき、新刊を作るに至った。

 

わたしと関口さんとは二回しか会ったことがない。初めて会ったのは今年の春の文学フリマ東京だった。ブースに来た青年が、にこにこしながら黒い名刺を渡してくれた。サークル「藪」の打ち上げに彼も同席していたが、喫煙者は隅のほうで固まっていたので会話はしていない。ただ、爪切男さんの計らいで、わたしの「先生」のような存在のこだまさんと向かい合ったとき、思わず涙が出たのを、彼はしっかりと見ていた。

 

後日、DMで「僕と一緒に恥をかきましょう」と言って、lighthouseでわたしの作品を取り扱っていただくことになった。「わたしは一生、恥をかき続ける」という一文は、『いかれた慕情』のあとがきに寄せたものだ。笑われるだろうか。この青さすら、わたしはかけがえのないものだと思っている。

 

新刊『まばゆい』には小説とエッセイを寄せた。文量としては、『いかれた慕情」とあまり変わらないはずだ。

小説なんて、一から話を作るなんて、わたしには出来ない、ずっとそう思っていた。

そんなとき、自分で書いたコラムを読み返した。「書くことは、自分が自分でいられるためのたったひとつの魔法だった」という一文を読んで、初心に立ち返った。

 

ずっと空想のなかで生きてきた。

共働きの両親のもとに生まれ、幼いころから転校や引越しを繰り返し、兄弟とも年の離れたわたしは、ひとりでいることが多かった。物心ついた頃から音楽や本が好きだった。「対話」が苦手な子供に育ち、ずっと空想に耽って過ごした。

 

「もしも〜だったら」ということを、いつもいつも考えていた。もしも歌手になれたら。もしも一人っ子で親に構ってもらえたら。もしも魔法が使えたら。

そんな「もしも」は、読み書きできるようになった年頃から、物語として紡がれていった。学習机の一番うえの鍵がついた引き出しには、小説とも日記ともいえない文章が書かれたノートをこっそり仕舞っていた。学校から帰ってきたら書いて、読み返して、また空想の世界に戻る。わたしがぼーっとしていたのは、こっちの世界にいなかったから。

 

ふいにその時のことを思い出した。

わたしの小説には謎解きもなければ魔法もない。ハラハラするような展開もなければ、ドラマチックなラストもない。それでも、書きたいことを書いたら、「ほんとう」のことだけが残った。

処女作の『ばかげた夢』がそうであったように、感覚を頼りにして書いた作品を、どうか誰かに読んでほしいというのは、おこがましいだろうか。

 

エッセイのタイトルが空欄になっているのは、ぜひ読んでから理解していただきたい。

 

『まばゆい』という短編集を作るにあたり、表紙の写真を品子にお願いした。

彼女が手がけた写真集「街の灯」を見たときに、見つけた、と思った。彼女とはまったく違うコミュニティで出会ったので、お互いに表現をしていることはずっと話していなかった。ある日、ふと渡された写真集を見ていたく驚いた。それは静かに宿る熱を感じる作品だった。

作品のタイトルに共通する光、その光を求めて品子と写真を撮って歩いた日のことを多分忘れないだろう。

 

表紙の、足元がおぼつかない人影はわたし自身。まだまだ不安定な自分、正体不明の存在、その光と陰を見事に写した一枚だと思う。品子ありがとう。

 

 

当日はブース【テ-43】に関口さんとふたりで立つ。『まばゆい』は処女作と同じ部数しか渡らない。この冊子の増刷はない。

最後に、「誰かのお守りになるような本を作りたい」と言っていた関口さんとコンビを組めたことを、光栄に思う。

 

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