いかれた慕情

僕の天使マリ

他人から見れば些細な話を

昔から気に入った本を何度も読むタイプだった。

前の職場で仲が良かったギャルが旦那の転勤で友達も家族もいない宮崎へ行くことになって、「向こう行ったら退屈だろうな。本読むのって暇つぶしになる?わたし本とか読まないんだけどオススメあったら教えてよ」と言われて、こだまさんの「夫のちんぽが入らない」を教えた。

私たちは見かけも性格も趣味も誰が見ても正反対なのに、誰が見ても本当に仲が良かった。出勤してお互いの顔を見るだけでどちらともなくニタっと笑って、社食でのお喋りは尽きず、不埒なジョークで大笑いした。

彼女が転勤してしばらく経ってから、「久しぶり、元気?『夫のちんぽ』、買ったんだけど本当に面白かった。一気に読んだし泣いちゃったよ。読んで良かった、教えてくれてありがとう」というメッセージが届いた。

 

あれから一年以上経ったいま、あの寂しがり屋のギャルに、こだまさんの「ここは、おしまいの地」を再びおすすめしたい。

 

 

私は誰に向けるわけでもなく、自分に向けたブログを書いている。書く事でどんどん内省的に物事を考えることが出来る。辛気臭い文章かと思ったら、辛気臭いわたしの人生だった。

 

言葉は呪いだ。言葉にすると全部が本当になりそうで怖い。世界から突き放されそうになる。

 

私はあまり人付き合いが上手くない。夜一人で冷えたベットに入って「どうしてあの時あんなことを言ってしまったんだろう」と思っては内臓のあたりがシクシクする。現実で上手く推敲出来なくて後悔する。四半世紀生きてきてこのザマだ。

それでも、どんな気持ちでも言葉にすれば成仏するのではないかと一縷の望みを持って書き続けている。

 

 

話を本に戻す。本文中の「すべてを知ったあとでも」の末文で、こだまさんが家族に黙って書いていることに対しての想いを綴っている。

 

「けれど、お母さん、私はだいぶ前から書くことに夢中になってしまっている。ただの捌け口で、自分の慰みでしかなかった場所が、いまは私を支えるものになっている。」

 

もう有名になり過ぎているし、家族にバレているかもしれない、やめろと言われるかもしれない、でも書くことは諦められない、そんな葛藤が素直に書かれていて少し泣いてしまった。

そうだ、素直。こだまさんの文章は素直。御涙頂戴でも不幸自慢でもない。

書くことで救われる人も、それを読むことで救われる人もいる。

 

あとは無印良品の話。

こだまさんの母がお見舞いに来て「無印良品のパンツ」を頼まれるも、「無印良品」をそもそも知らなくて、病院の購買で「無地のグンゼのパンツ」を買ってきてお婆さん達に笑われて肩を落とすシーン。

以前インナー業界にいたのでこれは死ぬほど分かる。件のギャルともインナー業界で知り合った。だからよく分かってくれると思う。お年寄りや田舎の人にとって「下着」=「グンゼ」なのだ。袋に入って二枚組とかでスーパーの二階で売ってるやつ。

そして、グンゼのパンツは履きやすさ重視なのでめちゃくちゃでかい。無印良品のパンツのLLサイズくらいで、グンゼのMサイズに追いつけるかどうか。規格とは何か、と思うくらいでかい。

若い人にはピンとこないかもしれないけれど、大人用オムツを履いてるような存在感。

 

グンゼの大きなパンツとレシートを握り締め、再度売店へ向かう母の後ろ姿。その肉付きのよい肩ががっくり下がるのを目にして、私はどっと涙が溢れた。」

 

情景がありありと浮かぶ。下着屋時代に戻って、「よくある事ですよ」と慰めてあげたい。

 

 

 

「川本、またおまえか」では、昔自分をいじめていた川本と大人になってから出会うところ。

川本の最後の一言で全てが浄化されて、やっと呪いが解ける場面。

この一話だけでも誰かに読んでほしい。

私は一時期国語の教師を目指していたんだけど、もし教師になれていたら、教材として使いたいほど好きだ。付箋をして何度も読んでいる。

 

 

ギャル、元気だろうか。相変わらず化粧が濃くて美しくて、大口を開けて笑っているのか。会社に寝坊しても周りにバレないようにカムフラージュしてくれる人はそっちにいるか。遠く離れた南の地へ住む彼女へこの本を贈りたい。読むことも書くことも素晴らしいよと伝えたい。