うわごと

僕のマリ

振り返らないで、走って

  
 滝口悠生『ラーメンカレー』という小説を毎日少しずつ読み進めている。『長い一日』という小説がすごく面白くて、あの重たい本を持ち歩いてまで読んで以来ハマっている。新刊を出したけどまた次の新刊に向けてずっと書いていて、だからやることは多いけど、ご褒美のような感じで『ラーメンカレー』を読んでいる。小説だと温又柔『祝宴』もほんとうに素晴らしくて夢中で読んだ(読んで!)。石田夏穂『ケチる貴方』も「冷え性」を題材にした新しい小説という感じで、読んだ人と話したいなと思う作品。梯久美子『狂うひと-「死の棘」の妻・島尾ミホ』も半分くらいまで読み、これは図書館で借りたものだけど、買う予定。あと、楽しみにとっているのは『わたしは思い出す』という本。しかし、本屋や図書館に行くたびに、こんなにも本があって、そして生まれ続けているのだなあと感慨深くなる。だから、自分が書いた本について、読まれない可能性のほうが高いことをつい考えるし、読まれたときは奇跡なんだなと思う。

 『常識のない喫茶店』は、現場の声が育ててくれた本だった。校了した時点で自分の仕事は終わっていて、あとはもう行く末を見守るしかなく、あんまり想像ができなかった。しかし、この本が色んなお店の棚に並んでいる様子や、現場の応援、読者の感想を長い間目にすることができて、そのことがずっと自分の心を温め続けていることは確かだ。無名の作家の本を置いてくれていた書店さん、読んで応援してくれていた方たちのことを考えると、もうずっと、頭の上がらない思いでいる。本を売るって、大変なことだ。

 たくさん売れた本が良い本とも限らないし、良い本だからたくさん売れるとも限らないのが、不思議であるけど真実である。自分が本を出す側になって、再三考えてきたことだ。母に本を書いていると打ち明けたとき、「でも、大変よね。常に面白いもの書かんといかんって考えたら、楽な仕事ではないんちゃう」と言われた。スポーツのように勝ち負けがあるわけではなく、正解がある仕事でもない。評価するのはすべて受け取る側、という賭けのような世界とも言える。絶対売れる本なんてないんだと思う。なんでも、絶対なんてない。でも絶対大丈夫と思う瞬間というのはいくつもあって、自分の心が動けば間違うことはないと信じている。そうやって作ったものが自分を救ってくれるはずだ。

 実際に読者の方と会ったり、書店の方とお話する機会があっても、なかなか骨のある話をできていない気がするが、わたしはいつも、見つけてくれてありがとう、と思っています。こんなにたくさんの人がいて、本があって、お客さんがいて、気が遠くなるような世界にみんな生きているのに、自分の作品に目を向けてくれたことが本当にうれしい。ずっと気ままに自分勝手に生きてきたけれど、出版を通して人への感謝が生まれたり、創作することで人との連帯を認識することができたりと、副産物も多かった。そんな気づきや幸福を綴ったのが『書きたい生活』という新刊です。わたしの作品に携わってくれた人たちに是非読んでほしいです。よろしくお願いします。

 

http://www.kashiwashobo.co.jp/book/b620422.html


  

悪い夢のように時がなぜてゆく

真冬も真夏も42度のお風呂に入っている。一時間くらい出たり入ったりを繰り返して、お風呂にベランダが欲しい、と思う。今は脱衣所で水をごくごく飲んで、デトックスしたぞいと得意になりつつも、冷凍庫のなかのアイスは何があったか考えてもいる。

 

シャトレーゼのアイスにハマっています。シャトレーゼって、片田舎の大きい道路にぽつんと立ってるケーキ屋さん、というイメージだったけど、最近は結構駅中にもあるみたいで、ケーキから洋菓子、和菓子と幅広く取り揃えているんだけど、お値段が優しすぎる、あの、シャトレーゼ。選択肢がたくさんありすぎて、何年もシャトレーゼに行くことはなかったのだけど、今住んでいる隣町にシャトレーゼがある。それで、「バッキー」という、しまうまバーの進化版のようなアイスがあって、それがとても好き。

https://www.chateraise.co.jp/campaign/chocobucky

 

ローソンかどこかで買って、美味しいな〜と調べていたら、シャトレーゼには限定の味があるという。今は、定番のバニラとチョコの他に、チョコミントとティラミスがあるのだ。チョコはまだ食べていない。あとの三つはめちゃくちゃ美味しい。パリパリのチョコが、申し訳程度ではなくギチッと入っているところも素晴らしければ、大きさも申し分ない。私はファミリーパックのアイスって、一本が小さすぎてひもじい気持ちになってしまうのだけど、バッキーに関してはまるで思わない。

 

それで、シャトレーゼのアイスコーナーは充実していて、バッキー以外にもたくさんアイスがあって。カップのアイスやかき氷のようなもの、チョコバナナやシュガーコーン、モナカもある。わたしのイチオシはスイカバー。シャトレーゼのスイカバー、全部がちょうどよくて絶妙なのだ。もちろん本家のスイカバーも負けず劣らず美味しいのだけど、舌触りのはんなりした感じ、やさしく口の中に消えていく感じが、なんか、泣けるドラマのエンディングみたいですっごくいい。せつなくて美しい。

 

コロナで頭やられたわけではなく、まあ味覚と嗅覚はやられているのだけど、だからこそ、食べ物に対する熱意がまたふつふつと湧いてきている。

発症してから一週間くらいはつらくて、高熱と喉の痛みと咳でぐったりしていた。最初は風邪だと思ったので治そうとして、葛根湯を飲んでからたくさん着込んで、夜中にうなされながら「暑い…暑い…」とうわごとを言っていたのだけど、味覚と嗅覚を消失したときに「コロナなんだな」と思った。やっとの思いで病院に行った時、発熱外来の特設コーナーができていて、エントランスの傘とか置くちょっとしたスペースにもパイプ椅子がたくさん置かれていて、これは、これは大変な事態だなと慄いた。

 

買い物行けないな、と思って、陽性になった日の夜に配食サービスを頼んだのだけど、六日経った今もきていない。東京、二万人とか三万人が感染しているので仕方ないことだ。熱が引いてからは、家のことをやったり原稿をコツコツ書いたりと、それなりに過ごしている。今日はカイジを読んだ。

 

先月から毎日日記を書いているので、夏号としてまとめて製本することを目標に頑張ります。一人でできるかは、微妙です。

 

 

 

もぐもぐ日記

「普段何考えてるんですか?」

そう聞かれて、うーんと悩み、

「食べ物のことかな……」と返答した。

質問してきたのが年下の男の子だったので、つい気が緩み素直に答えてしまった。事実、朝起きてから夜寝るまで、頭のなかのほとんどを食べ物のことが占めている。まず、朝はいちばんお腹が減っている。よく寝起きは食べられない人もいると聞くが、わたしは何時に寝ようが、朝お腹がすいて起きる。寝起きはそんなに良くないものの、すぐに湯を沸かして白湯を飲み、パンを焼いたりベーコンを炒めたりする。食いしん坊なので食パンは4枚切りだ。6枚切りではひもじい気分になってしまう。ふかふかの4枚切りを希望する。冷蔵庫にはごはんのお供ならぬ食パンのお供が多々ある。バター、マーマレード、いちごジャム、マロンペースト、ピーナッツバター。喫茶店で働いていた頃は、モーニングのトーストにこれでもかというほどバターを塗りつけていた。「マリちゃんのバターしみしみトースト」と呼ばれていた。滴るほど塗る。熱々のトーストの上を、塩っ気のあるバターがすべる様子はいつ見てもうっとりする。使っているパンも上質なものだったので、わたしはいまでも喫茶店のトーストにはうるさい。付け合わせにはサラダとベーコンと卵がほしい。朝は眠いので、夜のうちにレタスやトマトを洗っておく。卵は目玉焼きかスクランブルエッグ。目玉焼きには塩胡椒かウスターソースをかけたい。食後にコーヒーを飲んで一服する。家で飲むコーヒーにはそんなにこだわっていない。朝はコーヒーを飲みたいのでパンだけど、前日にお米を炊いていたら納豆と味噌汁で食べたりもする。納豆は絶対に切らさないようにしている。梅酢のたれと、昆布だしのたれの納豆が好きだ。あと、小粒じゃなくて中くらいの粒がよい。豆の食感を味わいたいのだ。朝におかゆを食べるのもよい。刻んだ野菜を入れてもいいし、卵を入れてもよし。朝食のことを考えるだけで、お腹がすいて眠れなくなることもある。

 

昼はお茶を淹れてお菓子を食べるし(退職したときにたくさん洋菓子をいただいたので、ちまちま食べている)、夕方になればエコバッグに財布を突っ込んで商店街に繰り出す。何年か前までまったく料理をしなかったが、この頃はほぼ毎日作っている。たいていジェーン・スーかオードリーのラジオを聴きながら作る。簡単でいいと思いつつも、気づけば4.5品くらいできている。それをゆっくり1時間くらいかけて食べる。食後は果物を剥いて、ほうじ茶を飲む。大好きな柿の季節が終わってしまった。柿は数年前までは全然好きじゃなかったのに。

 

今日は埼玉に行きたいカフェがあったので、1時間くらいかけて向かった。行きの電車で小川洋子『遠慮深いうたた寝』を読む。懐かしい感じの綺麗な装丁が目を引く。そのなかの「とんかつ」という話が素敵だった。「美味しいもの、栄養があるもの、珍しいものはまず子供に」という考えのお父さんが、幼い著者と弟が好まないとんかつの脂身と赤身を取り替えてくれていたこと。そのときはなんとも思わなかったが、大人になって思い出すとその優しさがじわりと温かい。家族の食卓の話は好きで、昨日読んでいた平松洋子『父のビスコ』もそんな記憶のかけらを拾い集めたエッセイ集だった。カフェではコーヒーとスパイスケーキ。バナナジュースも気になったが、はじめましてのお店ではコーヒーと決めている。スパイスケーキは、洋酒しみしみのフルーツが美味しかった。店内が可愛らしく、食器のひとつひとつもお洒落だった。食べている途中で、財布に一万円札しかないことに気づき焦ったが、その瞬間「ピピッ」と軽快な音がレジのほうから聞こえて、ICカードが使えることを知り一安心。次はランチに来ようと店を出る。駅まで歩いている途中、かなり寒かったのだが、頭のなかはもうとんかつのことでいっぱいだった。今夜絶対にとんかつが食べたい。そう思って、夜観る映画の前に近くで食べるめぼしい店を探す。750円くらいの安いとんかつもあるけれど、いま食べたいのは2000円くらいのとんかつ。よさそうなお店を見つけて、場所を確認。

 

夕方は下北沢のボーナストラックへ。安達茉莉子さんの新しいジンを求めてやってきた。辺りはもう暗く風が冷たかったので、足の指がしもやけになりそう。幼い頃から毎年しもやけになっている。足の薬指と小指がぷっくり腫れて、靴がきつくて痛い。よく、母にお風呂のお湯と洗面器の冷たい水に交互に足をつけるように言われていた。効いていたのかはわからない。手のあかぎれには薬用のクリームを塗り込まれていた。よくケアされていたものだ。

今日のボーナストラックのテーマは「ケア」だそう。本を読むことも、適切なケアだと思う。横浜の本屋さん、生活綴方のブースに安達さんは出店されていて、様々な本の説明を聞く。ジンを3冊購入した。「じぶんをだいじにするためのブックガイド」に、わたしの本も選書していただいている。その紹介文があまりにも素晴らしかったので、一部ここに書いておきたい。

 

「常識のない喫茶店が、『常識』の名の下にまかり通っている社会の加害にレッドカードを突きつけてくれる。その抵抗はお店の中だけで完結しなくて、いろんな場所で同じように働く人の、内なるレッドカードの持ち札になる。そしてそれはもうレッドカードじゃなくて、命綱なんだと思う」

 

著者として涙が出そうだ。あの本で伝えたかった切実な想いが、「命綱」という言葉に変換されてもっと訴えかけてくる。これ以上なにかを説明するのは野暮だから何も書かないけれど、安達さんがこれだけ汲み取ってくださったのが心底うれしかった。好きな作家というだけで舞い上がる気持ちだったが、宝物にしたい言葉だ。ご挨拶もできて、温かい気持ちで下北沢を出た。

 

土曜日の夜の新宿をすたすた歩き、歌舞伎町のビルへ。もうすっかりお腹がすいている。とんかつ屋さんはほどほどの混み具合だった。もち豚のロースとんかつ定食を頼み、読書の続き。15分ほど待って出てきた。お味噌汁がしじみでうれしい。キャベツのドレッシングがお店のオリジナルのようで、まろやかで美味しかった。まろやかすぎてなかなか出てこず、わたしのだけ?と思って他のお客さんをちらっと見たら、やっぱりなかなか出てこなかった。久々の揚げ物は熱々で甘くてご褒美のよう。この感じは家じゃできないなあ。レモンと塩で食べるのもさっぱりしていい。お腹がすいていたのでごはんと漬物をおかわり。わたしの「すみません」という小声を店員さんがしっかりキャッチしてくれた。2杯目を食べ切る頃には少し苦しかったけれど、完食。苦しい割にはメニューの「カキフライ」という文字を凝視していた。どうやらこのお店、「とんかつ茶漬け」なるものが名物なよう。頼んでいる人が多かった。次来たときには頼んでみよう。

 

映画の時間が迫っていたので、早足でシネマカリテへ。ホラー映画を観た。ビビりの割にはホラー映画が好きで、よく観に行っている。今日も、おじいさんが白目を剥いているシーンで、驚いて1cmくらい浮いてしまった。いい意味でストレスフルな作品で、90分ずっと緊張していた。どん底で一杯飲んでから帰ろうかと思ったが、まっすぐ帰った。ああ、食べものエッセイを書きたい。

花粉症も眼鏡キャラも

夜中、外で猫が壮絶な喧嘩をしていて起きた。とにかくすごい鳴き声で、結構びっくりした。朝の8時に目が覚め、洗濯物を干す。今日はタオルの日。干した後もう一回横になってみたら、眠ってしまった。

退職してからというものの、眠ってばかりいる。夜中の2時ごろに寝て昼過ぎまでぐうぐう寝ている。朝が弱いのに早番で、一度も寝坊しなかった反動がここにきた。お布団が、気持ちいいのである。起きて朝兼昼食を食べて、薬を飲んで一息つく。着替えて化粧をしてから隣町まで出かけ、古着屋に入った。お目当てだったアウターは、小柄な私には大きすぎて断念。いつもいつも、服選びは難しい。しかし私は、お店に入って何も買わないことにかなり後ろめたさを感じてしまう。入って接客を受けたら何か買わねばと思ってしまう。全然そんなことはないし、店員さんも気にしないんだろうけど、何故かストレスを感じる。買い物は大好きなのに、それだけがいつも気がかりだ。別の店でカーディガンやスカートを購入して、家に帰る。友達が先週退職祝いにミスドのギフトをくれたので、自転車に乗って買いに行った。私は自転車の運転が苦手で、今日もヒヤヒヤしながら片道10分を漕いだ。人が、多すぎる。ミスドに着いて、トングをカチカチしながら品定めするのだが、せいぜい2個しか食べられないのに対して食べたいドーナツが多すぎる。ポンデリングは外せないけどエンゼルクリームも食べたいし、ゴールデンチョコレートもおいしい……。そうこうしているうちに後ろに人が並び始めて、慌ててふたつとった。どっちもチョコがちょびっとかかっているもので、被ってしまった…と半ばショックを受けながら帰る。コーヒーを淹れてドーナツを食べ、美味しいなあ〜とため息をついた。2杯目のコーヒーを飲んでぼんやりしているともう夕方で、17時のチャイムが鳴った。

茶店をやめたとはいえ、無職ではないので机に向かって仕事をする。しかし全然集中力がなくて進まない。私は家だとなかなか進められない。まだ締め切りまで猶予はあるので、一度寝かせる。

薬局へ買い物に行き、八百屋を流し見る。家には白菜とキャベツがどーんと鎮座しているので、まずは食べきろう。帰ってぼんやり考え事をしていたら悲しくなって、親友にLINEした。私は他人に甘えることを躊躇しない。話を聞いてもらい、少し落ち着いて日記を書いた。お腹が空いていないので夕飯は少しだけ。

穏やかな幸せのなかにいると、たまに自分の輪郭がわからなくなる。不安になる。だけど、私はちゃんと明るくなったし、弱いままでも生きていけるじゃないか、と信じている。

大好きで愛おしくて涙が出そうだ。

九月十四日

夏が終わった。9月になった途端きっちり涼しくなり、ゲームの世界のようだと思う。

今日はいつも通り出勤。朝刊に「藤井聡太 三冠」という見出しが。将棋は今ひとつわからないけれど、すごい。朝イチで、文筆家のIさんがご来店。モーニングのサラダを山盛りにして出したら同僚が笑っていた。Iさんはモーニングを食べてゲラを読んでいた。帰りに「出版おめでとう!」と、出版祝いをくださった。「本読んだら来たくなった」とも言ってもらえた。とても華やかな気持ちになる。自分が憧れていた人に祝ってもらえて、東京ってすごいなあと思った。文筆家としても、一人の女性としても尊敬している。

毎日くるおばちゃんが、「今日はダブル」と言ってトーストを2枚注文した。2枚のときは恥ずかしそうにしている。いっぱい食べなよと思う。昼前、ちょっとデリケートな問題が勃発したが、同僚の手腕で穏やかに事が済んだ。店というのはどんな人が来るかわからないからこそ、緊張感があるものだ。

昼休憩で担当編集の天野さんが出した日記本『八月二十九日、』を読む。人の日記を(売られているものとはいえ)こっそり読むのになんとなく背徳感を覚えるが、一気に読んだ。知らなかった過去の話も書かれていた。メンタリストDaiGoの一件に関する記述がわかりやすく、もう一度考え直すきっかけになった。あの動画はきつかった。今頃どうしているのだろうか。あと、「わたしは声が小さい」と書かれていて、言われてみればそうだな、と思って笑ってしまった。面白かったです。

 

午後は暇で、のんびり営業していた。私が好きな医者のおっちゃんや、最近子供を産んだお姉さんが来てくれた。本にも書いたが、ドライな対応の人にかなりときめいてしまう。同僚も同じ意見で、「恋愛と一緒で、お客さんのことは追っかけたい派なんだよね。追いかけられると冷めちゃう」と言っていた。本当に私たちはドライなお客さんにはデレデレで、逆に私たちに興味津々なお客さんには塩対応である。同僚は以前「女心と秋の空!」とも言っていた。彼女はかなり面白い。暇で、「生クリーム入りの紅茶飲む?」と聞かれて、「うん」と言ったら、「茶色いお砂糖も入れていい?」と聞かれた。おすすめの飲み方で飲んでほしいようだ。入れてもらって、あまーい紅茶を飲んだ。紅茶に砂糖を入れるのは何年ぶりだろう。美味しかった。

 

退勤して、書店に寄り店員さんにご挨拶した。詳しいことは端折るが、「あの店の、うちでよく文芸誌を買っているあの子が書いたんじゃないか」と推測されていたらしい。本当に偶然というか、ビビッとくるものがあったようだ。文芸書担当のお姉さんは前から素敵だなと思っていた方なので、本を読んでもらえてとても嬉しかった。このご時世であちこち出かけられないので、近場の書店で直接お礼を言えてよかった。Twitterを見ていると、読者や書店員の方が読んでおすすめしてくださっていて、ありがたいことだなあと感激している。ハートボタンを押す日々。

 

スーパーで買い物して、マスクも買い足して家に帰った。最近食への関心が高く、適当に済ませるのは嫌!という気持ちになっている。なんでもよかった頃が懐かしい。

今日は昨日持たせてもらった副菜二品と、サバと炊き込みご飯。生活綴方の、安達茉莉子さんが出演されているインスタライブを観ながら食べた。テーマは「好きな人」だったので、始終癒されていた。いま読んでいるのは『限界から始まる』と『butter』。もうちょっと読んだら寝る。

 

 

 

まばたきしてる間に

冷たい足を温めながらハーブティーを飲んでいる。なんとなく日記を書く。

 

今日はいつも通り7時半に起き、出勤。マスターの妻と一緒にモーニングの時間帯を捌いた。トーストにバターを滑らせているときの匂いはお腹がすく。あまじょっぱくて美味しい。朝からナポリタンを食べるお客さんがわりといるのだけど、前日の夜から決めてるのだろうなと思う。私はひどい二日酔いのとき、店に寄ってナポリタンを注文した朝がある。ジャンクな味で、おいしい。この頃は東京の感染者が増えている影響か、以前のように爆発的に混むことはなく、朝から外まで並ぶような光景は見ていない。喫茶店で並ぶ、というほうが異様なので、これが本来あるべき姿だとは思うが、忙しいのに慣れているので暇だと落ち着かない。ぼーっと考え事をしながら卵の殻を剥いていた。

休憩時間に郵便局へ行き、友達に送る本を出したのだが、「スマートレターのほうが安い」と教えてもらって、やり直し。書店で今日発売の新潮10月号を買った。午後は3人組の男の子がそれぞれ飲み物を頼んだあと、すぐにまた苺ジュースを追加していて、かわいらしいなあと思った。多分、隣の席のおじさんが苺ジュースを一気飲みしたのを見て頼んだのだろう。そういえば、ちょっとぼけているおじいちゃんが30分に2回来店して、「さっき来たよ」と教えたけど拒むわけにもいかず、なんとも切ない気持ちになった。ウィンナーコーヒーのクリームの部分だけ舐めて帰って行った。常連さんがどんどん歳をとっていく。

退勤して着替えて喫茶店に行き、ミルクティーとはちみつケーキを頼んだ。自然とホットの飲み物を頼んでいて、秋だなあと思った。新潮の乗代雄介さんの『皆のあらばしり』を一気読み。f:id:bokunotenshi_66:20210908000327j:image

毎回、読み進めていくうちにあっと驚く展開になるので、読んでいて気が抜けない。もう一度読み直したい。

植本一子さんの書評も読む。『往復書簡 限界から始まる』、先々週くらいに注文したのだがまだ入荷していないのか読めていない。書評を読んで早く読みたいと思った。

 

帰宅して、ちょっと考えていたことがあり友達にLINE。悩みを聞いてもらう。シャワー後、顔を保湿してスチームを当てながらスマホを見ていて、堪えきれず泣いてしまう。顔が潤いすぎ。泣いたらすっきりして、明日腫れないようにまぶたを押してマッサージした。私は忙しいのだ。

 

ほりしずかさんの連載が更新されていて、それがとにかく素晴らしかった。とにかく読んでほしい。

http://s-scrap.com/6398

陳列されたコーラを奥からとる人に傷つくという描写に、ああ、傷つくってこういうことか、と納得した。ほりさんの緻密な書き口に、エッセイっていいよなあ、と惚れ惚れした。

 

明日も読みたい本のために書店に行く。読みたいものがある限り、書きたいことも尽きない。

 

 

遊んでたらできちゃった

ノースリーブすべすべ、古着のスカートずるずる。黒髪ロング、パーマかけましてん。私と会ってない人は髪の伸び方にびっくりするだろう。30歳まで伸ばそうと思っています。

 

最近読んだ面白かった本は滝口悠生『長い一日』、蛭田亜紗子『共謀小説家』、山﨑ナオコーラ『かわいい夫』、山内マリコ『あのこは貴族』などなど。読みかけで面白いのは諸隈元『人生ミスっても自殺しないで、旅』、わかしょ文庫『うろん紀行』。以前ツイートで見かけたのだけど、本の写真付きで感想をツイートするのが出版社として一番ありがたいのだそう。面白い本はどんどん紹介していきたい。かくいう私も、自分の好きな書き手や友達が呟いていた本はすぐ調べて購入するタイプ。これから出版に携わっていくので、自分の本も誰かが紹介してくれたらうれしいなと思う。

 

書籍を刊行するにあたって、想像以上に周囲が祝福してくれている。私は同人誌を作って販売し、儲けにならないネットプリントをちまちま書いてきた書き手なので、出版がどれだけうれしいかは筆舌に尽くし難い。でも、「予約したよ」「楽しみにしてるよ」と言われて背筋が伸びたし、「これからこの本が新しい人と出会っていくのだ」と思うだけでうれしい。そして何より、同人誌時代から応援してくれたファンへの恩返しになればいいと思う。

 

近く、もうひとつお知らせがあるので、それまで私はひたすら頑張ります。

大森靖子の歌詞で「逃げてたつもりがいつの間にか拳を振りかざし走ってた」というのがあって、いまの自分のようだと思った。遠くまできたものだ。