うわごと

僕のマリ

自分の夢は現実だよ

年の瀬だ。この頃はいつにも増してぼんやりすることが多く、今この瞬間も電車を間違えて途方に暮れている。大井町を目指しているのに池袋に着いてグッタリ。この間は横浜から新宿に行こうとして鎌倉にたどり着いた。泣くかと思った。

 

今年は引っ越したり、連載が始まったり、10年くらい同じだったボブヘアーを卒業したり、猫の良さに気付いたり、色々あったなと思う。年始には意気揚々と「毎月、最終日に月報を書く」と始めたネットプリントもたった2回で終わり、誰に頼まれたわけでもないそれに若干の罪悪感を感じながら2020年12月30日まできた。ありがたいことに公私共に、いや主に「公」のほうが忙しかったので色々と出来ないこともあった一年。喫茶店と執筆業とたまに古本屋の仕事を手伝っている、3足のわらじを履く女となった。多分社会的な地位は低いが、あれ、もしかしてわたしは好きなことしかやっていないのでは?と気づく。こんな28歳を過ごすとは思わなんだ、いやしかし悪くないねとサッポロ黒ラベル片手に語りたい。

 

最近は日記集を一緒に作っている(と言うと共同作業のようだけど、実際は入稿、編集など原稿提出以外は全てお願いしている)伊藤さんが作ったLINEのオープンチャット「たぶん日記」に参加して、わりと毎日日記を書いて投稿している。匿名なので気楽なものだ。

 

来年の目標は……と言って達成できないことは絶対やりたくないのだけど、長らく寝かせていた『まばゆい』の刊行に力を入れたいと思っています。昨日も一昨日も書いていました。同じく柏書房の連載も折り返しを迎えたので、どんどん加速していきたいです。先日とある作家さんに連載の感想をいただき、非常に感激して、ああ頑張れる……と思いました。感想はちゃんと読んでます。読者なくしては成り立たないので本当にありがたい限りです。

 

2020年はいい出会いがたくさんあった。大事なものがよくわかった一年だった。泣いても怒っても傷ついても、このまま加速し続けて、誰にも真似できん生き方をしてやる。

 

 

 

 

 

なくなりそうな君が好きさ

こそこそ煙草を吸っても、怒られるときは怒られる。一人で決められた場所で吸うだけなんだから、割と地味でストイックな趣味なんやないのと反論したくなる。28歳になったが、相変わらず喫茶店や酒場に繰り出すのが好きで、それ以外のことはそんなに好きじゃない。ハタチそこそこの時はとにかく悪いことをしてみたかったけど、何にもならないのでやめた。人に優しくできない割には人一倍繊細で嫌だ。

町外れにある、かなりスピってるというかイっちゃってるおばさんの占い師に「会話力があるのに、自分の本当の気持ちを言うのが苦手」と言い当てられてうれしかった。全部本に書いてあることだとしても、インチキでもなんでもよかった。欲しい言葉だったから。そしておばさんはわたしの職業を当てた。占いって面白いね。

 

人に本を薦めるのが好きだ。幸運なことにそういう仕事もさせてもらっているが、個人的に誰かに本を貸すときは処方箋みたいに慎重に選ぶ。

知り合いの老夫婦にこだまさんの『いまだ、おしまいの地』をプレゼントした。発売日前日に書店へ駆け込み、2冊買って1冊あげた。「うれしいわあ」とほころぶ奥さんの顔に照れた。数日後に「この人明るくなったわね」と感想を伝えてくれたので、話に花が咲いた。70代の彼女はジャンル問わず新刊をチェックしていて、よくわたしにも本を貸してくれたりプレゼントしてくれたりする。先日は凪良ゆうさんの『流浪の月』を貸してくれた。「とても好きな本で、毎日寝る前にあるワンシーンを読み返すのよ」と言うので早く読みたかったが、このところ塞ぎがちで積読が続いていて、今日ようやく読めた。

 

心のやわらかいところを針でぷすぷすと刺されて膿がでるように、痛くて正しくってため息が出た。他人とは決してわかりあえない、わかつことの出来ない地獄のことを思い出してヒヤッとした。わたしはいい歳して、他人が他人であることによく絶望する。言葉を紡ぐ仕事をしているのに、今やそれこそが自分のすべてなのに、何故か人を前にすると思っていることや感じていることが口にできない。笑えるほどにできない。わかりあえないかもしれないという恐怖に支配されて口をつぐみ、言いたかった言葉がのどにつかえて行き場を失い、じくじくと痛む。

 

『流浪の月』にはわたしが言って欲しかった言葉が書いてあって、何度もその一文をなぞった。終盤、爪痕の目立つページがいくつかあって、この本の持ち主のことを思った。そのことだけでも胸がいっぱいになるような、切実な痕の付き方だった。共鳴している、と静かに熱くなる。半日で読み終えて、もう一度読みたいけど、自分の爪痕がつかないうちに早く返さなきゃと思い直した。

 

誰かに守られるのは心地いいけど、いままでの自分を壊してくれる人に出会えるしあわせを享受したい。わたしだって硬い鎧をぶち壊すほどの気概でやっていきたい。ずっと同じ場所にはいられないんだよね、と日毎に思う。シャワーを浴びたら焼酎のお湯割りを飲んで、好きな曲を聴きながら手紙を書いて寝る。酔っ払ってしまえば、わたしはもう!

ゆうちゃんへ


ぴかぴかの真夏、兄に娘が生まれた。この兄というのは5歳年上の次兄のことだ。冠婚葬祭のときしか動かない我が家のグループLINEが、ひっきりなしに通知を飛ばしている。「何グラム?」「立ち会ったん?」「名前は?」という両親の質問攻めに、絵文字をつける余裕もないのか、元からそういう人だったからか、単語だけで対応する兄。予定日の二日後に生まれ、母子ともに健康。名前の候補が二つあり、悩んでいる。東京出張から帰ったばかりの父である兄は、疫病の関係もあってすぐには会えないとのことだった。「コロナさえなかったら飛んでいきたい」という両親をなだめながら、自分に与えられた「叔母」という肩書きに感慨深くなる。両家待望の初孫が、マスクをした母親に抱かれている写真を何度も眺めた。姪の名前は、ゆうちゃん。

 

ほどなくして兄からLINEがきた。グループLINEではなく個人宛のものだ。アプリへの招待URLにアクセスしてアプリをダウンロードする。「子どもの成長をいつでも、どこでも、いつまでも!」というキャッチフレーズが浮かんできた。招待された者だけが見られる、写真・動画共有サイトだった。二枚の写真がアップされている。ゆうちゃんの成長を、このアプリでいつでも見られるということらしい。便利な時代になったものだ。


アプリを使っていると、メンバーがやや欠けていることに気がついた。兄の妻の両親が揃っていないのは(確かお義父さんが高齢だったからガラケーなのだろう)と察することができたが、うちの長兄とあちらのお兄さんが招待されていない。二人なりの配慮なのかもしれないが、なんともいえない気持ちになった。子どもができたときも、次兄は言いづらそうにしていた。「順番」というものを過度に気にしすぎではないか。そんなに気を遣われてもお互い苦しくなるだけだよ、と言いたいのをこらえる。だからこそ、未婚で二十代のわたしには気楽なのだろう。

 

ゆうちゃんはかわいい。最初は泣いている顔ばかりだったが、この頃はにこにこ笑った顔が多くなってきた。目の大きいところが兄に似ている。ピンク色のタオルに包まれて、うさぎのぬいぐるみがいつも傍らに置かれている。花柄の布団、水玉のガーゼ、レースのついた服。すべてパステルカラーのやさしい布。ゆうちゃんがあくびしたはずみで泣き出してしまう動画は何度見ても笑える。ご機嫌なときはよく声を出している。「あ」と「え」の中間のような音で、唇のかたちは富士山のよう。他のメンバーのログイン履歴も見られるのだが、いつ見てもうちの母が一番頻繁にログインしている。朝から晩まで、常に新作がないかチェックしているようだった。64歳の母はとにかくメール無精で、スマホに変えるのすら抵抗があったと言う。実際に、母から送られてくる文面にはいつも不自然な区点や改行、誤字が多い。その母が、老眼を凝らして一心不乱にスマホを見ていることを考えると、ゆうちゃんの偉大さを改めて思い知らされる。

 

「叔母と姪」という関係で真っ先に思い出すのが乗代雄介さんの『最高の任務』という小説なのだが、自分はあんな風に人を愛せるだろうかとふと考えたりする。わたしと母の姉である伯母は、気質が似ていることにこの頃気づいた。恐ろしいほどの記憶力と、果てしなく根暗なところに母や父とはまた違った血を感じる。姪とわたしは似るだろうか。少しでも自分に似ているところがあったら可笑しいし、正反対の人生を歩む可能性のほうが高い。ゆうちゃんの名前の漢字には「人を助ける」という意味があるのだが、そういう仕事に就いた兄らしいな、と聞いてもないのに勝手に感動した。名付けにはたいてい願いが込められていて、そんなのはエゴでしかないと斜めに構えていた時期もあったけれど、最近は人の名前の由来を聞くのが好きになっている。「幸せになってほしい」なんてフワッとした無責任なことは言わないし、生き方なんて自由だけれど、どうか助けられる人になりますように。助けを求められる人になれますように。やさしく育ってほしいけど、やさしすぎる人にならんでよ、と思う。叔母さんは我儘やけんね。

 
 

僕の呪文も効かなかった

 

休みは自分で掴み取るしかないので、スケジュール調整には余念がない。普段ちょっと無理してでも日曜日は休みたいしボケーっとしたい。

昨日は昼過ぎから喫茶店に行き、帰りしなにスーパーで買い物をした。中延の商店街にある喫茶店は繁盛していた。日記集の相方である伊藤さんとOK(スーパー)の話をよくしているのだが、昨日はおいしいと噂のOKのピザにありつくことが出来た。結構大きいけど五百円くらい。夕飯がピザというのは何歳になってもうれしい。私が好きな薄口のビールにもよく合う。土曜日は中華料理を食べに行ったのだが、キリンの中瓶が最近キツくなってきていて、青島にすれば良かった〜と思った。ビールの好みも年々変わる。

 

ピザとビールのあとはゲーム。『龍が如く』『ストリートファイターⅡ』『ファイナルファイト』『大魔界村』など。『龍が如く』の必殺技で、落ちている自転車に跨り、敵をちょっとだけ轢くやつがあって毎回爆笑してしまう。あと、主人公がヤクザやチンピラに絡まれる際に「おい待てよ」「ムカつくんだよ」とイチャモンをつけられるのだが、「おっさんはっけーん(笑)」「髪型だせえんだよ」という滅茶苦茶なものもあって毎度笑える。『ファイナルファイト』のエンディングの一節にぐっときた。

 

「おれはふつうにはいきられないおとこだ、、、、、いいならこい!だれにもまねできんいきかたをさせてやる」

 

お風呂上がりにアイスを食べて、深夜帯の静かな番組を眺める。享楽的な生活。沢山働いているので許して欲しい。

 

夜中2時、電池が切れたように眠る。いつも夜中に目が覚めるのだが、今日は一度も起きずに爆睡して気持ちよかった。久々に疲れがとれた気がする。ユニクロで売っているスーファミのTシャツ姿がなんとも間抜けだと思う。雨音で朝起きるも、結局昼過ぎまで寝こけて、起きてごはんを食べる。お菓子を食べながら録画していた『レディープレイヤー1』を鑑賞。ずっと何か食べている。

 

夏が好きだ。薄着、キッチンの蒸し暑さ、扇風機のリズム、夜中に飲む麦茶、知らない家の蚊取り線香、アイスコーヒー、真昼のだるさ。

今年は去年みたいにならなくても、新しい思い出で日々をぶち破って、誰にも何にも邪魔されずに生きたい。今までずっとそうだったじゃないか。

 

わたしを離さないで

脳がとっ散らかっているので、酒を飲みながらNetflixのドラマを流し見、スマホのゲームをやりつつ、思い出したようにYouTubeで音楽を聴くという、めちゃくちゃ生き急いだ人のライフスタイルを送っている。そんでまあ、まだ飲んでるのを忘れて、新しいチューハイ持ってバスタブの中でポメラで原稿とか書き始めるので酷いものだ。子供の頃は、この性質のせいで集団からひどくあぶれてしまったが(多分いまもそうなのだけど)、色んなことに気づくまでは自分の世界はとても楽しくて、一人でも最高と常に思っていた。

 

毎年この季節になると思い出すのは、無職になって何もかも放ったらかして日本中を旅していたこと。思いつきで飛行機やバスに乗って、何泊かも決めずにあてもなく歩き、道に迷い、知らない街の知らない景色をずっと目に焼き付けて、私は大丈夫、自由、何でも出来る、何も出来ない、と鴨川で泣いた。

 

今が強いというわけでもないけれど、若い頃は本当に脆かった。手にとったらほろほろと崩れるクッキーのような心で、常になにかに怯え、人の評価ばかり気にしてはSNSの言葉に揺らぎ、他人を妬む気持ちばかりが募った。自分と同じくらい人のことが許せずに、無闇に傷ついたり、傷つけあったりしていたように思う。

 

「変わった」とよく言われるし、自分でもそう思う。「よく笑うようになったよ」という言葉ひとつでこの数年のことを思い出して泣けるし、「いつかふっと死んじゃうと思ってた」なんて言わせたことを思い出しても涙が滲む。

わたしは今も恥ずかしいくらいナイーブで、すぐに痩せこけたり眠れなくなったりする。煙草も酒もやめる気ないし、相変わらず堕落しためちゃくちゃな生活だが、やりたいことで溢れてる。身体が足りない。

 

「同年代の女性が求めているような幸せは特に望んでいなくて」

 

今の環境って幸せで、毎日楽しい。でも、もっと加速したい、この静かな行為がずっと好きだったろう、狂ってもやれる、わたしにしか出来ない、そんな思いで頭がはじけそうになる。

 

少し落ち着くか、と桃の缶チューハイを飲みながら散歩をする。大好きな季節になった。

フィードバックは果てしなく続く

もう八年くらい共に過ごしているオラフのぬいぐるみの尻を揉みしだくことでストレスを発散している。オラフには済まないが、なんか落ち着くので、真顔でずっと揉んでいる。

ちなみに、オラフというのは『アナ雪』に出てくる雪だるまみたいなアレではなく、『ピーナッツ』シリーズ、スヌーピーのきょうだい犬のことだ。洗濯してやらなきゃなあと思ったけど今日は曇りで少し寒いので延期。揉みしだいたせいで尻のかたちが歪。3Dだったのにペラペラのぬいぐるみ。

 

犬といえば、実家で飼ってた犬。会いたいな。もうすぐ死んでから三年。長い耳、くるくるの毛、ちいさな頭、感触、におい、重さ、かたち、温度、その感覚さえも、年月が経てば失われてゆくのだろうか。ボール遊びをするときのウキウキした顔、病院帰りのしみったれた表情、盗み食いを問いただしたときの変な鳴き声。ポコっと出てる腹を撫でると、毛にまみれたヘソがあった。人が好きで、特に読売新聞の集金のおじさんにメロメロだった。おじさんも犬好きで、二、三分はふたりでイチャイチャしていたのを思い出す。コタロウが随分とかまってちゃんの甘えん坊だったせいで、他の犬や猫が随分とドライに感じる。猫がすーっとわたしの顔の前に来て、においを嗅いでる。嫌われないように、少し撫でて声だけかけておいた。

 

TwitterのDMを鎖国してから精神的に助かっとります。知らん人が作った知らん曲の感想を突然求められたり、不審者に執拗に絡まれたりせんでええですけんね。あと、不意にバズってしまったとき、謎のメディアに「あなたのツイートを拝見しました!記事として扱ってもいいですか?」と打診されることも無い。あれは面倒くさい。そもそも「バズったツイートを紹介する屋さん」って需要あるのだろうか。そこはちょっとだけ気になる。仕事の連絡はgmailのアドレスにお願い致します。あと、親しい方各位、LINEのデータほぼ消えました…

 

最近はYouTubeでキリンの決闘とか観てる。ライオンやカバなどの野生動物は、もっぱら「噛む」ことで相手にダメージを与えるのだが、キリンはあの長いクビをぶん回してどつきメスを奪い合ってて、これはこれでなかなか見応えがある。あとはオランウータンの動画。オランウータン好き。

 

Netflixでドキュメンタリー観るのも良い。最近面白かったのは刑務所体験シリーズ。大麻や飲酒、暴力などの非行を重ねる未成年を刑務所に連れて行き、所内の実情を見せることで更生を促すという内容なのだが、受刑者のボス的な人が怖すぎて八割泣いてる。初回は女子刑務所。顔に刺青入った人たちがどこから出てるのかわからないくらいデカい声で始終怒鳴っているのだが(「いいかい?今日からあたしがあんたのママだよ!」とか意味のわからない恐怖を植えつけてくる)、この映像だけでかなりの犯罪抑止に役立つと思う。はー、こわひ。

 

 

窓から西日が射している。部屋がオレンジ色に淡くなって、白い家具で揃えてよかった。夕焼けで顔が赤いんだと思う。毎日記録は続けている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どんなときも完璧で誰からも愛されて

鹿児島に住む従姉妹に電話した。

12人いるいとこのなかで一番仲が良くて、幼い頃はよく一緒に遊んだものだ。わたしより9歳年上の彼女は、数年前夫の浮気がきっかけで離婚して、いまは20歳年上の男性と再婚して、事務の仕事をして暮らしているらしい。

 

普段は親族とまるっきり連絡をとらないが、唯一連絡先を知っているのはその従姉妹だったので電話してみた。

ワンコールですぐに繋がり、「もしもし?」と懐かしい声が響く。「マリよ」と名前を告げると大層驚いていた。強い南訛りで「どうした〜?」と聞くので、叔母の連絡先を教えて、とお願いした。

 

先日自宅にマスクが届いた。新型肺炎の対策ではなく、わたしは昔から花粉症なのでマスクが欲しかった。鹿児島では手に入ったようで、母伝いに叔母がマスクを送ってくれた。色は白かピンクどちらがいい?と聞かれ、どちらでも、と答えたらピンク色のマスクが届いた。

そのお礼を伝えるべく電話をしたかったのだが、実家に電話しても誰も出なかったので、従姉妹に叔母の連絡先を聞いた。わたしはとにかく忘れっぽいので、思いついたらすぐに済ませておきたい。

 

という旨を従姉妹に説明すると、「ああ〜、いいよ」とすぐに叔母の携帯番号を教えてくれた。「元気にしとんね?」という問いに「もちろんよ」と答えると、すかさず「彼氏は?」と質問された。

こういう質問は、とにかく面倒なので適当に答える。「いる」と答えたら年齢や職業や馴れ初めを一通り話さなければならないし、「いない」と答えれば「結婚したくないの?」と追及されてしまう。

はぐらかして、「いないよ、でも明日は明日の風が吹くけんね、わからんよ」と笑い飛ばす。電話口の彼女は爆笑している。「マリ〜、相変わらずあんたおもしろーい」と机をたたく音が聞こえた。「好きな人とかおらんのね」という問いには「みんな好き〜」と応戦した。

 

話題を変えて、従姉妹が飼っている犬の話や、祖母の話をした。「ゆめが死んじゃった」とぽつり呟く声は、どこまでも能天気なイントネーションで胸を突かれた。「いまはー、ラムと、チョコと、モコがいるさ」と三頭の犬の名前を教えてくれた。「ほとんど食べ物の名前やん」と言うと、少し笑ってくれた。

 

従姉妹はいま37歳で、子供はいない。

母が「あの子、子供好きやのになあ。産まんのかいな」と心配していた。再婚相手は母や叔母と同年代で、二人の結婚は反対されていたが、いまは幸せそうに暮らしている。それでいいと、わたしは思っている。

 

「いま何してんの」と聞かれ、部屋の掃除をしてたんだと答えた。夕飯時だったので、電話越しの従姉妹は夫が釣ってきたアジフライを食べていると言った。夕飯どうすんの、と聞かれて、「さあ?松屋にでも行こうかな」と答えたらまた爆笑されてしまった。なんで笑ったのか全然わからなくて、「なんで?」と聞くと、ひいひい言いながら「だって、一人で松屋って!」と笑っている。鹿児島には松屋ないの?と聞くと「ない、吉野家とかすき家はある」と教えてくれた。行かないのか、と聞くと、一人では行かないよと笑われた。

「マーリ!あんた勇気あーるー!」と笑い続ける彼女に一瞬閉口するも、「自炊せんけん」と弁解する。「自炊せんけん、松屋とか、お惣菜とか、マックとかね、まあ適当に食べるんよ」と説明しても、「でも松屋は行かれん〜」と言っていた。自分の日常がそこまで笑われることに驚きながらも、「別に一人で松屋行ったところで誰も見らん」と教えた。

 

でも、だけど、これはわたしが住んでいる地域の話で、鹿児島の田舎だったら、違うのかもしれない。誰がどこで何してた、そのくらいしか、話すことがないのかもしれない。興味の矛先が無いのかもしれない。そんなことを思うと、ただただ悲しきピエロになるしかなくって、「やっぱ王将でビールと餃子!」と言ってみた。電話口から、二人分の笑い声が聞こえる。

 

叔母に電話をして、三度目でやっと繋がる。

「もしもし…?」という声がどこまでも怯えていたので「マリよ」と告げると「なんだ〜どないしたん」と、あっけらかんとした関西弁になった。

「マスク!マスクありがとうね、東京ではもう買えんしね、ありがとう」と伝えると「どうってことないで」と笑っていた。

鹿児島の田舎でも毎朝薬局に人が並んどってな、よう並ぶわほんまコロナより桜島の灰のほうが迷惑やし、テレビは毎日毎日コロナのニュースや、もうかなわんわ〜、ほんま!東京はどないなってんの?あんた仕事大丈夫?と叔母がまくしたてる。

 

「東京はね、」もうめちゃくちゃ、みんなパニックになっとるけんね、駅とかもあんま人がおらんかったりでちょっと気持ち悪いときあるね、あの震災のときみたいや、でもわたしは電車乗らんし、仕事も多分大丈夫、そげん心配せんでもね、手洗いうがいして食べて寝たらええけん。

 

「よかったー、あんた元気そうならおばちゃんも安心やわ」

愛情、それ以外に例えようのない感情が声に滲んでいた。あっけらかんとした性格の叔母は、すぐ泣き、強く怒り、よく笑う子供時代のわたしを、とてもよく可愛がってくれた。子供ながらに、叔母にはすべて見透かされている、といつも思っていて、それが恥ずかしいこともあった。

 

五月の兄の結婚式の話になった。

「昨年は長男、今年は次男!あんたら結婚式ばっかで、おばちゃん痩せる暇ないがな」と笑わせてくる。確かに、長兄の結婚式のとき、引っ張り出してきた礼服がきついと嘆いていたことを思い出した。兄達は確かに、予兆を全く見せることなく突然結婚して、親族を驚かせていた。それまでは「もうええ歳やのに、お兄ちゃんたちはお嫁さんこんね」とずっと言われていたから、兄達は兄達で肩の荷が降りたかな、と思う。

 

「あとはまーちゃんやね」

楽しみだと言わんばかりの声色で叔母がささやく。あー、と濁しているあいだにも「あんた予定ないん」と畳み掛ける。

 

叔母の話し方は特殊で、バリバリの大阪弁と、鹿児島の訛りが混在している。なんとなく、やさしい気持ちのとき、南訛りになっている気がする。東京に十年住み、標準語に慣れたわたしには随分素っ頓狂に感じるが、懐かしくて好きだ。鹿児島のイントネーションで、やさしいやさしい声色で、叔母は言った。

 

「まーちゃんがお嫁さん行ったら寂しくなるねえ」

 

咄嗟に思ったことを口走る。

「え?わたしは18歳から実家でとるやんか、今更なにがよ」

「えー、でも、女の子は、嫁ぐやんか」

「嫁にいく、つったってさ、わたしはそもそも誰のものでもないんよ」

 

一瞬の間があった。

あまりにも本質を突いてしまったか、と思うも、それは杞憂で、叔母はあまりピンときていないようだった。いつもわたしは冗談ばかり言っていたから、きっと軽口を叩いただけだと思われているのだろう。

 

でも、そう思っているのは本当で、きっとこれから先も同じようなことを言われたら、同じことを言うと思う、だってわたしにも感情や意志があって、どう生きたいとか誰と暮らしたいとか決める権限もあるし、結婚しなくたって、子供を産まなくたって、それは自分で全部決めることなのだから、たとえ血が繋がっていたって、成人して自活している以上は誰の所有物でもないんだ、

 

ダメかなあ、煙草吸って、酒を飲んで、一人で飲食店に行くことが、そんなにいけないことなの、誰か嫌な思いをする人はいるかな、どんな迷惑がかかるのかな、なんで嫌なのかな、聞いたら教えてくれる?

お嫁にいけたら幸せなのかなあ、わたしいま、自分でお金稼いで、友達もたくさんいて、好きなことして、大切なものがあって、毎日幸せなんだけど、ずっとそうやって東京で生きてきたんだけど、それでも、まだやっぱり違うの?

 

聞きたい、聞いてみたい、答えがなくてもいいし、正解なんてなくてもいいよね、誰も悪くなんかないよ、喧嘩したくないよ、でも、こんなこと聞いたら、わたしってやっぱり変なのかなあ、変だったら嫌?

 

「たとえば、」と言って口をつぐむ。

わたしが同性愛者だったら、子供が産めない身体だったら。それでも、あなたは、わたしのこと愛してくれる?

 

なんて言うのは酷だから、びっくりさせるから、だってせっかく幸せな話をしていたのだから、と思い直し、

 

「超お金持ちと結婚して、みんなで旅行するのどお?わたし意外とかわいいし、明日には突然プロポーズされちゃうかも!」とおどけてみた。

電話越しの叔母が「うわー!ほな連れてってもらうわ〜、犬も一緒にええか?」と応戦した。二人でワハハと笑う。たくさん笑って、しあわせ、しあわせ。

 

「まーちゃん身体に気いつけるんよ、ちゃんと食べてな、結婚式で会えるん楽しみやなあ、番号登録しとくけんな、また電話しいや」

 

本気でそう思ってくれている声だった。

 

「うん、おばちゃんも身体気いつけてな、マスク本当にありがとう」

 

そう言って電話を切った。

 

しけもくの山が、磨いたばかりのシンクと不釣り合いで、しばらくぼーっと眺めていた。

ああ、そうだ、さっきまで掃除をしてたんだ、と思い出してシーツを洗うことにした。この前うっかり化粧をしたまま寝てしまったから、ちょこんとついた赤い口紅の跡がずっと気になっていたのだ。

白いシーツに漂白剤入りの石鹸をつけて、少し荒れた手で何度もこすった。力を込めてこすっても、なかなか汚れがとれなくて、でもその赤がずっと気になって、取らなくちゃと思って、バサバサになる指先なんかどうでもよくって、わたしは、何度も、何度も、何度も、