うわごと

僕のマリ

わたしを離さないで

脳がとっ散らかっているので、酒を飲みながらNetflixのドラマを流し見、スマホのゲームをやりつつ、思い出したようにYouTubeで音楽を聴くという、めちゃくちゃ生き急いだ人のライフスタイルを送っている。そんでまあ、まだ飲んでるのを忘れて、新しいチューハイ持ってバスタブの中でポメラで原稿とか書き始めるので酷いものだ。子供の頃は、この性質のせいで集団からひどくあぶれてしまったが(多分いまもそうなのだけど)、色んなことに気づくまでは自分の世界はとても楽しくて、一人でも最高と常に思っていた。

 

毎年この季節になると思い出すのは、無職になって何もかも放ったらかして日本中を旅していたこと。思いつきで飛行機やバスに乗って、何泊かも決めずにあてもなく歩き、道に迷い、知らない街の知らない景色をずっと目に焼き付けて、私は大丈夫、自由、何でも出来る、何も出来ない、と鴨川で泣いた。

 

今が強いというわけでもないけれど、若い頃は本当に脆かった。手にとったらほろほろと崩れるクッキーのような心で、常になにかに怯え、人の評価ばかり気にしてはSNSの言葉に揺らぎ、他人を妬む気持ちばかりが募った。自分と同じくらい人のことが許せずに、無闇に傷ついたり、傷つけあったりしていたように思う。

 

「変わった」とよく言われるし、自分でもそう思う。「よく笑うようになったよ」という言葉ひとつでこの数年のことを思い出して泣けるし、「いつかふっと死んじゃうと思ってた」なんて言わせたことを思い出しても涙が滲む。

わたしは今も恥ずかしいくらいナイーブで、すぐに痩せこけたり眠れなくなったりする。煙草も酒もやめる気ないし、相変わらず堕落しためちゃくちゃな生活だが、やりたいことで溢れてる。身体が足りない。

 

「同年代の女性が求めているような幸せは特に望んでいなくて」

 

今の環境って幸せで、毎日楽しい。でも、もっと加速したい、この静かな行為がずっと好きだったろう、狂ってもやれる、わたしにしか出来ない、そんな思いで頭がはじけそうになる。

 

少し落ち着くか、と桃の缶チューハイを飲みながら散歩をする。大好きな季節になった。

フィードバックは果てしなく続く

もう八年くらい共に過ごしているオラフのぬいぐるみの尻を揉みしだくことでストレスを発散している。オラフには済まないが、なんか落ち着くので、真顔でずっと揉んでいる。

ちなみに、オラフというのは『アナ雪』に出てくる雪だるまみたいなアレではなく、『ピーナッツ』シリーズ、スヌーピーのきょうだい犬のことだ。洗濯してやらなきゃなあと思ったけど今日は曇りで少し寒いので延期。揉みしだいたせいで尻のかたちが歪。3Dだったのにペラペラのぬいぐるみ。

 

犬といえば、実家で飼ってた犬。会いたいな。もうすぐ死んでから三年。長い耳、くるくるの毛、ちいさな頭、感触、におい、重さ、かたち、温度、その感覚さえも、年月が経てば失われてゆくのだろうか。ボール遊びをするときのウキウキした顔、病院帰りのしみったれた表情、盗み食いを問いただしたときの変な鳴き声。ポコっと出てる腹を撫でると、毛にまみれたヘソがあった。人が好きで、特に読売新聞の集金のおじさんにメロメロだった。おじさんも犬好きで、二、三分はふたりでイチャイチャしていたのを思い出す。コタロウが随分とかまってちゃんの甘えん坊だったせいで、他の犬や猫が随分とドライに感じる。猫がすーっとわたしの顔の前に来て、においを嗅いでる。嫌われないように、少し撫でて声だけかけておいた。

 

TwitterのDMを鎖国してから精神的に助かっとります。知らん人が作った知らん曲の感想を突然求められたり、不審者に執拗に絡まれたりせんでええですけんね。あと、不意にバズってしまったとき、謎のメディアに「あなたのツイートを拝見しました!記事として扱ってもいいですか?」と打診されることも無い。あれは面倒くさい。そもそも「バズったツイートを紹介する屋さん」って需要あるのだろうか。そこはちょっとだけ気になる。仕事の連絡はgmailのアドレスにお願い致します。あと、親しい方各位、LINEのデータほぼ消えました…

 

最近はYouTubeでキリンの決闘とか観てる。ライオンやカバなどの野生動物は、もっぱら「噛む」ことで相手にダメージを与えるのだが、キリンはあの長いクビをぶん回してどつきメスを奪い合ってて、これはこれでなかなか見応えがある。あとはオランウータンの動画。オランウータン好き。

 

Netflixでドキュメンタリー観るのも良い。最近面白かったのは刑務所体験シリーズ。大麻や飲酒、暴力などの非行を重ねる未成年を刑務所に連れて行き、所内の実情を見せることで更生を促すという内容なのだが、受刑者のボス的な人が怖すぎて八割泣いてる。初回は女子刑務所。顔に刺青入った人たちがどこから出てるのかわからないくらいデカい声で始終怒鳴っているのだが(「いいかい?今日からあたしがあんたのママだよ!」とか意味のわからない恐怖を植えつけてくる)、この映像だけでかなりの犯罪抑止に役立つと思う。はー、こわひ。

 

 

窓から西日が射している。部屋がオレンジ色に淡くなって、白い家具で揃えてよかった。夕焼けで顔が赤いんだと思う。毎日記録は続けている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どんなときも完璧で誰からも愛されて

鹿児島に住む従姉妹に電話した。

12人いるいとこのなかで一番仲が良くて、幼い頃はよく一緒に遊んだものだ。わたしより9歳年上の彼女は、数年前夫の浮気がきっかけで離婚して、いまは20歳年上の男性と再婚して、事務の仕事をして暮らしているらしい。

 

普段は親族とまるっきり連絡をとらないが、唯一連絡先を知っているのはその従姉妹だったので電話してみた。

ワンコールですぐに繋がり、「もしもし?」と懐かしい声が響く。「マリよ」と名前を告げると大層驚いていた。強い南訛りで「どうした〜?」と聞くので、叔母の連絡先を教えて、とお願いした。

 

先日自宅にマスクが届いた。新型肺炎の対策ではなく、わたしは昔から花粉症なのでマスクが欲しかった。鹿児島では手に入ったようで、母伝いに叔母がマスクを送ってくれた。色は白かピンクどちらがいい?と聞かれ、どちらでも、と答えたらピンク色のマスクが届いた。

そのお礼を伝えるべく電話をしたかったのだが、実家に電話しても誰も出なかったので、従姉妹に叔母の連絡先を聞いた。わたしはとにかく忘れっぽいので、思いついたらすぐに済ませておきたい。

 

という旨を従姉妹に説明すると、「ああ〜、いいよ」とすぐに叔母の携帯番号を教えてくれた。「元気にしとんね?」という問いに「もちろんよ」と答えると、すかさず「彼氏は?」と質問された。

こういう質問は、とにかく面倒なので適当に答える。「いる」と答えたら年齢や職業や馴れ初めを一通り話さなければならないし、「いない」と答えれば「結婚したくないの?」と追及されてしまう。

はぐらかして、「いないよ、でも明日は明日の風が吹くけんね、わからんよ」と笑い飛ばす。電話口の彼女は爆笑している。「マリ〜、相変わらずあんたおもしろーい」と机をたたく音が聞こえた。「好きな人とかおらんのね」という問いには「みんな好き〜」と応戦した。

 

話題を変えて、従姉妹が飼っている犬の話や、祖母の話をした。「ゆめが死んじゃった」とぽつり呟く声は、どこまでも能天気なイントネーションで胸を突かれた。「いまはー、ラムと、チョコと、モコがいるさ」と三頭の犬の名前を教えてくれた。「ほとんど食べ物の名前やん」と言うと、少し笑ってくれた。

 

従姉妹はいま37歳で、子供はいない。

母が「あの子、子供好きやのになあ。産まんのかいな」と心配していた。再婚相手は母や叔母と同年代で、二人の結婚は反対されていたが、いまは幸せそうに暮らしている。それでいいと、わたしは思っている。

 

「いま何してんの」と聞かれ、部屋の掃除をしてたんだと答えた。夕飯時だったので、電話越しの従姉妹は夫が釣ってきたアジフライを食べていると言った。夕飯どうすんの、と聞かれて、「さあ?松屋にでも行こうかな」と答えたらまた爆笑されてしまった。なんで笑ったのか全然わからなくて、「なんで?」と聞くと、ひいひい言いながら「だって、一人で松屋って!」と笑っている。鹿児島には松屋ないの?と聞くと「ない、吉野家とかすき家はある」と教えてくれた。行かないのか、と聞くと、一人では行かないよと笑われた。

「マーリ!あんた勇気あーるー!」と笑い続ける彼女に一瞬閉口するも、「自炊せんけん」と弁解する。「自炊せんけん、松屋とか、お惣菜とか、マックとかね、まあ適当に食べるんよ」と説明しても、「でも松屋は行かれん〜」と言っていた。自分の日常がそこまで笑われることに驚きながらも、「別に一人で松屋行ったところで誰も見らん」と教えた。

 

でも、だけど、これはわたしが住んでいる地域の話で、鹿児島の田舎だったら、違うのかもしれない。誰がどこで何してた、そのくらいしか、話すことがないのかもしれない。興味の矛先が無いのかもしれない。そんなことを思うと、ただただ悲しきピエロになるしかなくって、「やっぱ王将でビールと餃子!」と言ってみた。電話口から、二人分の笑い声が聞こえる。

 

叔母に電話をして、三度目でやっと繋がる。

「もしもし…?」という声がどこまでも怯えていたので「マリよ」と告げると「なんだ〜どないしたん」と、あっけらかんとした関西弁になった。

「マスク!マスクありがとうね、東京ではもう買えんしね、ありがとう」と伝えると「どうってことないで」と笑っていた。

鹿児島の田舎でも毎朝薬局に人が並んどってな、よう並ぶわほんまコロナより桜島の灰のほうが迷惑やし、テレビは毎日毎日コロナのニュースや、もうかなわんわ〜、ほんま!東京はどないなってんの?あんた仕事大丈夫?と叔母がまくしたてる。

 

「東京はね、」もうめちゃくちゃ、みんなパニックになっとるけんね、駅とかもあんま人がおらんかったりでちょっと気持ち悪いときあるね、あの震災のときみたいや、でもわたしは電車乗らんし、仕事も多分大丈夫、そげん心配せんでもね、手洗いうがいして食べて寝たらええけん。

 

「よかったー、あんた元気そうならおばちゃんも安心やわ」

愛情、それ以外に例えようのない感情が声に滲んでいた。あっけらかんとした性格の叔母は、すぐ泣き、強く怒り、よく笑う子供時代のわたしを、とてもよく可愛がってくれた。子供ながらに、叔母にはすべて見透かされている、といつも思っていて、それが恥ずかしいこともあった。

 

五月の兄の結婚式の話になった。

「昨年は長男、今年は次男!あんたら結婚式ばっかで、おばちゃん痩せる暇ないがな」と笑わせてくる。確かに、長兄の結婚式のとき、引っ張り出してきた礼服がきついと嘆いていたことを思い出した。兄達は確かに、予兆を全く見せることなく突然結婚して、親族を驚かせていた。それまでは「もうええ歳やのに、お兄ちゃんたちはお嫁さんこんね」とずっと言われていたから、兄達は兄達で肩の荷が降りたかな、と思う。

 

「あとはまーちゃんやね」

楽しみだと言わんばかりの声色で叔母がささやく。あー、と濁しているあいだにも「あんた予定ないん」と畳み掛ける。

 

叔母の話し方は特殊で、バリバリの大阪弁と、鹿児島の訛りが混在している。なんとなく、やさしい気持ちのとき、南訛りになっている気がする。東京に十年住み、標準語に慣れたわたしには随分素っ頓狂に感じるが、懐かしくて好きだ。鹿児島のイントネーションで、やさしいやさしい声色で、叔母は言った。

 

「まーちゃんがお嫁さん行ったら寂しくなるねえ」

 

咄嗟に思ったことを口走る。

「え?わたしは18歳から実家でとるやんか、今更なにがよ」

「えー、でも、女の子は、嫁ぐやんか」

「嫁にいく、つったってさ、わたしはそもそも誰のものでもないんよ」

 

一瞬の間があった。

あまりにも本質を突いてしまったか、と思うも、それは杞憂で、叔母はあまりピンときていないようだった。いつもわたしは冗談ばかり言っていたから、きっと軽口を叩いただけだと思われているのだろう。

 

でも、そう思っているのは本当で、きっとこれから先も同じようなことを言われたら、同じことを言うと思う、だってわたしにも感情や意志があって、どう生きたいとか誰と暮らしたいとか決める権限もあるし、結婚しなくたって、子供を産まなくたって、それは自分で全部決めることなのだから、たとえ血が繋がっていたって、成人して自活している以上は誰の所有物でもないんだ、

 

ダメかなあ、煙草吸って、酒を飲んで、一人で飲食店に行くことが、そんなにいけないことなの、誰か嫌な思いをする人はいるかな、どんな迷惑がかかるのかな、なんで嫌なのかな、聞いたら教えてくれる?

お嫁にいけたら幸せなのかなあ、わたしいま、自分でお金稼いで、友達もたくさんいて、好きなことして、大切なものがあって、毎日幸せなんだけど、ずっとそうやって東京で生きてきたんだけど、それでも、まだやっぱり違うの?

 

聞きたい、聞いてみたい、答えがなくてもいいし、正解なんてなくてもいいよね、誰も悪くなんかないよ、喧嘩したくないよ、でも、こんなこと聞いたら、わたしってやっぱり変なのかなあ、変だったら嫌?

 

「たとえば、」と言って口をつぐむ。

わたしが同性愛者だったら、子供が産めない身体だったら。それでも、あなたは、わたしのこと愛してくれる?

 

なんて言うのは酷だから、びっくりさせるから、だってせっかく幸せな話をしていたのだから、と思い直し、

 

「超お金持ちと結婚して、みんなで旅行するのどお?わたし意外とかわいいし、明日には突然プロポーズされちゃうかも!」とおどけてみた。

電話越しの叔母が「うわー!ほな連れてってもらうわ〜、犬も一緒にええか?」と応戦した。二人でワハハと笑う。たくさん笑って、しあわせ、しあわせ。

 

「まーちゃん身体に気いつけるんよ、ちゃんと食べてな、結婚式で会えるん楽しみやなあ、番号登録しとくけんな、また電話しいや」

 

本気でそう思ってくれている声だった。

 

「うん、おばちゃんも身体気いつけてな、マスク本当にありがとう」

 

そう言って電話を切った。

 

しけもくの山が、磨いたばかりのシンクと不釣り合いで、しばらくぼーっと眺めていた。

ああ、そうだ、さっきまで掃除をしてたんだ、と思い出してシーツを洗うことにした。この前うっかり化粧をしたまま寝てしまったから、ちょこんとついた赤い口紅の跡がずっと気になっていたのだ。

白いシーツに漂白剤入りの石鹸をつけて、少し荒れた手で何度もこすった。力を込めてこすっても、なかなか汚れがとれなくて、でもその赤がずっと気になって、取らなくちゃと思って、バサバサになる指先なんかどうでもよくって、わたしは、何度も、何度も、何度も、

それさえも色褪せていくと思ったら負け

いままで使ってなかったAppleMusicになんとなく手を出してみたらその便利さに気づき、先週から色々と懐かしい音楽を掘り出している。ずっとiPodclassicを使っていたのだが、そういえばみんな化石を見るような目で見ていたなと独り言つ。使っているiPhoneもいにしえのSEなので「電源ボタンが上にあるー!」とびっくりされてしまうことが多い。わたしだってカメラのレンズが三つもあるiPhoneにびびっているのだから、あんまり騒がないで欲しい。機種変は面倒くさいしアプリもそんなに使っていないので、友人からは「らくらくスマホにしなよ」という助言を受ける。嫌だよ。親友がケータイの会社で働いているのですべて任せることにした。頼りになる。近頃電源がすぐ落ちるので、もうすぐ機種変することになりそうだ。持ちやすければなんでもいい。

 

こんなに晴れた日曜日はスピッツに限る、と窓の外を眺めながらずっと草野マサムネの歌声を聴いていたら、案の定澄んだ気持ちになってしまった。以前レンタルさんが依頼で同行したスピッツのライブの感想を「良さで疲れた」と呟いていたのも頷ける。的確な表現だと思った。良すぎても、それはそれで他のことが手につかない。そう、今日は一日の大半を音楽を聴く行為に費やしたのだ。多分六時間くらいは、ただ音楽を聴いていた。しかしそれだけではとどまらず、収納からベースを出して取り憑かれたように弾いた。しばらく弾いていなかったのであんまり覚えてないかもしれないと思ったけれど、感覚を取り戻してからは早かった。指がきちんと覚えていたので三時間本気でずっと弾いていた。おかげさまで気づいたら日が暮れていたし、かなり疲れた。でもこれは良い疲れ。

学生時代ずっとバンドをやっていたので(主にベース)、楽器が手に馴染むし改めて音楽が好きだと感じる。聴くのも好きだけど弾くのも好き。読み書きもこれに同じ。わたしの楽器の力量は、多分文章力と同じ程度だと思う。同じような熱の注ぎ方だったから、同じくらいの温度だろう。高校生のときに買ったベースはフェンダーUSAで、当時の自分にはすこし高かったけど後悔していない。好みの太くて真っ直ぐな音が出る。愛器。愛器なのに、ぶん投げたりこけたり突っ込んだりして、ボディに少しひびが入っている。愛器だから、血も涙も滲んでる。あまりにも青春だったから、ごめんね。

 

部活では本当に色々なバンドをコピーした。なかでもナンバーガールスーパーカーくるりなど、あの世代が多かった記憶。ちょっと難しいけど楽しかったのはandymori。もう一回コピバンやりたい。サンボマスターも最高だったし、モーモールルギャバンも「ユキちゃんの遺伝子」でワウ踏んで楽しかった。チャットモンチーはベースボーカルだった。くみこんの素晴らしい詩に毎度泣けた。「LastLoveLetter」を卒業する好きな先輩の目の前で演奏したとき、たった三分間のあいだに何度も泣きそうになって、そのたびに涙を振り払うようにあのリフを弾いた。「あれベース弾きながら歌えるのすごくない?」と打ち上げの席で言われたけれど、そんなことより泣かなかったほうがすごいでしょうと思う。「涙は人に見られて初めて輝き出すのです。」

 

 

七時間スタジオで歌い続けても枯れない喉、はもう無いかもしれない。どうしてあんなことが出来たのだろう。文化系なのに体力お化けだった。今はもう、あの頃ほどの体力はないから、弾きながら歌うのも難しいしれない。でも、熱が醒めないうちは大丈夫だと思っている。
MASS OF THE FERMENTING DREGSというバンド(通称マスドレ)のコピバンのベースボーカルが、本当に全力で演奏できて楽しかった。スリーピースで、ベースがコードを弾くのがちょっと珍しい感じで、それが新鮮で「かき鳴らして」いた。声域も自分に近いのか歌いやすくて気持ちよかった。今日はそのときのことをずっと考えて、静かに熱狂していた日だった。「ワールドイズユアーズ」という短い曲が、いまの自分の気持ちに寄り添っている。昔より歌いっぷりが良くなってる気がする。

 

https://youtu.be/qBfaDSKSzzE

 

基本的にエフェクター無し(たまに歪ませる時はサンズアンプ)、男のアン直スタイルがわたしの好みだった。素の音がいちばん良い。今日この日、また音楽への熱が再浮上して心がせわしない。


そういえばいつも、がに股でベースを弾いて歌ってた。漏れ出す情動を音に変えて放出する気持ちよさを忘れていた。裸足でステージに立っていた日々が、なんだか昨日のようのことに思える。

 

 

 

 

卑屈になんかならんでもいいのさ

肩こりと腰痛が酷く、マッサージや整体によく行くのだけど、気持ち良くても結局はその場しのぎでしかないので、やはり運動をするしかないと痛感している。夏はプールに通っていたが、冬となると着替えが面倒なので足が遠のく。

色んなマッサージ屋、整体を練り歩いているが、いつも受付で「この店で一番力が強い人を」という道場破りのようなお願いをしてしまう。ヤワな施術など望んでいない。ありったけの力で揉んでほしい。

先日「もう限界だ」と思って入ったマッサージ屋では、20代と思しき小山さんという男性が懸命に足を揉んでくれていたのだが、途中で鈴木さんという女性が入ってきて腕を揉んでくれた。その二人によって腕と足があらぬ方向に伸ばされているとき、なんかシュールすぎて吹き出してしまった。ヒーリングミュージックと衣擦れしか聞こえないような静かな店内で突然爆笑することは死を意味するので、咄嗟に「エ"エン!」と咳払いをして誤魔化したがバレているだろう。鈴木さんが去り、小山さんが渾身の力で首、肩を揉む。小山さんの親指がバキッと鳴って、気まずくなる。しばらく首のところを触っているなと思ったら、少しの間があり「少々お待ち下さい」と小山さんは去った。なんだろうと思っていたら「失礼します。責任者の坂口と申します」と言って坂口さんが入ってきた。「代わらせていただきますね」と、責任者の親指で首の筋肉を揉みしだかれる。さすが責任者、えげつない力である。痛すぎて一瞬呼吸が止まるが、耐える。身体全体を再度入念に揉まれ、四肢がバラバラになるかと思った。

 

先日人生初めての書評をしていただいたのだが、「自意識の化身である」という一言に膝を打った。その一文を目にしなければ、もしかしたら自覚のないままだった可能性が高い。その書評について詳しく言及すると、紙として刷った意味がないので触れないが、わたしが常に「自分だけの秘め事にひとりにんまりしている」というのは確かにそうだ。

 

妄想する癖がある。常に妄想しては、その世界に想いを馳せて一人ほくそ笑んでいる。

これだけ申すと「えっ!?あのエッセイやブログは全部嘘だったの!?」と誤解を招きかねないが、書いたものは全て本当である。いや、プライバシーを守るために、名前や地名は変えたりして多少濁したりすることもあるけれど、本当のことしか書いていない。たまに嘘みたいな出来事に遭遇するたびに「果たしてこれは現実なのか」とふと考えてしまうが、自分はそういう運命なのだとわかった今ではなんでもない。

 

とはいえ、妄想は誰でもするし、感情がある生き物として生まれたからには至極当たり前のことだと思うが、みんなどんな妄想をして日々過ごしているのだろう。

わたしはというと「自分が何者かになったつもりで暮らす」というテーマが常にあり、それを実行することに楽しみを見いだしている。ひとつのゲームだ。

 

普段、自分がどんな人物かと聞かれたら「雑」と答えている。雑なのだ、とにかく。何に関しても。細かいことが苦手で、計算も嫌だし計画も好きではない。そういう能力がそもそも備わっていない。「適当」という言葉が一番好きかもしれない。昔から気が変わるのが早く、思いつきで行動しているので、人間関係も流動的である。

そんな自分であるが、たまに何かを「演じる」ことに夢中になることがある。わたしはそのへんの一般人なので、ある意味普通に、細々と暮らしているのだが、だからこそ、自分が何者かになったつもりで過ごすのが楽しい。

 

たとえば。実は自分は殺し屋なのだと思い込む。もちろん殺したことがあるのはせいぜい虫ぐらいなのだが、凄腕の殺し屋になったつもりで生活してみるのはどうだろうか、とふと考えてみる。

不朽の名作「LEON」を何度も観ているせいか、その憧れが妄想となり、妄想が現実の暮らしに魔の手を伸ばした。殺し屋になったつもりで暮らすというのは、常人にはなかなか難しいので、取り急ぎ「LEON」と「コロンビアーナ」と「ニキータ」をお手本にする。

朝起きて「今日は殺し屋のつもりで生きよう」と思う。重ね重ねになるが、むろん人は殺さない。殺し屋の朝ごはんはどんなだろう。とてもストイックに違いない。でもちょっとおしゃれかもしれない。考えた結果、アイスミルクとシリアルにした。LEONそのものだし、別にいつもと変わらなかった。今日はゴミの日だからゴミを出したいと思う。しかし、殺し屋はゴミの日に律儀にゴミ収集場になど行かないだろう。ゴミ捨てを断念する。

殺し屋としての仕事について考える。ターゲットを指定しなければこの仕事は成立しない。依頼がくる筈だが、もちろんこないので、大学のときの嫌いな先輩を脳内で殺しておいた。

やおら筋トレを始める。体力が命の仕事。とりあえず鍛えておくかと腹筋と背筋と腕立て伏せを百回ずつやった。しかし、かなり疲れたのでそのまま布団でうたた寝してしまった。起きた時には昼過ぎで、殺し屋なのにうたた寝とはこれいかに、と自己嫌悪に苛まれる。こんなに呑気に構えていたら殺される側になる。とても反省した。

気を取り直して武器の手入れをしようと家中の武器を探す。使えそうなものといえば包丁と一升瓶しかない。家に不審者が侵入してきたらこれで戦うしかない。実際に不審者に侵入されかけたことはある。割と最近だ。一人暮らしは危険。

映画のように銃の手入れをしたいが、もちろん持っているはずもないので虚空を眺める。銃を持ってなくてよかったと常々思う。銃社会だったら既に撃ち殺しているであろう人々の顔が思い浮かんだ。現実世界で攻撃したことがあるのは痴漢くらいなのだが(必ず金蹴りか腹パンを喰らわせる)、もし銃を持ってたら埼京線で乱射していただろう。

 

気を取り直して、喫茶店へ読書をしに行く。殺し屋なので、いかに市民たちに職業を悟られないかが重要である。カモフラージュのために、ちょっとファンシーな出で立ちで家を出る。大きめの赤のセーターとミニスカート、白いタイツ。モコモコのトートバッグ。これはいかにも殺し屋っぽくない。バレないと思う。喫茶店でオーダーをする。本当はホットコーヒーが飲みたいが、いかに殺し屋らしからぬ飲み物を頼むかが鍵だ。迷った末、オレンジジュースと大きなパフェを食べることにした。組み合わせ的に微妙だったので後悔した。甘いものと柑橘系のジュースは合わないなと思う。喫茶店でせっせと働く店員たちを眺め、「呑気にパフェ食べてるけど、実は殺し屋なんだァ」と思う。読んでいる本も、図書館で借りてきた『バムとケロシリーズ』という徹底ぶりである。ちびいぬのヤメピというキャラがすこぶる可愛いのだ。これは殺し屋が読まない本だろう。しかし読んでいる。考えるだけで面白い。他の客である市民たちも、まさかわたしという人物が殺し屋とも知らずに優雅にコーヒーを飲んでいる。もし、いま突然店内に強盗が入り込んだらどうしようかと考える。わたしは凄腕なので、怯えて隠れるふりをしながら素早く厨房に忍び込み、熱したフライパンと大量の包丁で反撃する。テーブルの花瓶を投げるのもありかもしれない。去り際には窓ガラスをぶち破って派手に退店したい。脳内でイメージして、無事に三人の強盗をやっつけたので満足して店を出た。

 

夜、打ち合わせ。これは本当の仕事に関する(執筆の)打ち合わせなのだが、今日に限っては殺しの依頼を受けているという設定だ。編集の方を勝手に依頼人にする。依頼人に仕事を頼まれ「面白え話だな。1万ドルなら引き受けるぜ」と思う。もちろん脳内で。殺し屋なのでなるべく無表情で笑わない方針でいきたいのだが、雑談をしていたら普通に笑顔になってしまった。三マス戻る。

 

夜更けに帰路につく。夜道は危険だ。何度も振り返り、警戒をする。前方から男が走ってくるのが見える。刺されたらどうしようと思うが、よく見たらおじさんが柴犬とジョギングしているだけだった。普段なら「犬!」とリアクションするところだが、殺し屋なので、断腸の思いで無視をする。かなしい。

 

物憂げな表情でシャワーを浴びる。一番誰も見ていないので意味はないが、とりあえずやっておく。飲み物が欲しくなったのでコンビニへ行く。夜勤の相川さん(とにかく一つ一つの動作が早過ぎてビックリする)が今日もレジを乱れ打ちしている。雑誌コーナーのあたりで、足の親指みたいな顔のおじさんがぶつかってきて、舌打ちされる。おやおやと思う。殺し屋に舌打ちとはクソバカですねと一笑に付す。本当のクソバカはわたしなのだが、こうやって考えてみると日常の苛立ちも抑えられることに気付いた。相川さんが食い気味にわたしの手から「北海道チーズ蒸しケーキ」と「氷結りんご味」を奪い取りスキャンする。ナナコで支払う。なんでナナコのキャラクターはキリンなんだろうなといちいち考える。

家に帰りチューハイをズビズビ飲んでいたら、殺し屋だったことも忘れた。

 

閉店時間を過ぎたコインロッカーで洗濯物が乾くのを待っている。グオングオン。背中ごしに伝わる振動と、誰もいない空間のしずけさが心地よい。閉店時間に気付いたのは、店主と思しき男性が「奥の電気消してもいいですか?」と聞いてきたので、ハッとなったからだ。本当はもっと早く終わるはずだったのだがこんな時間になってしまった。洗濯するだけなのにトラブルが続いたのが原因。さあやりますかとコインランドリーに来たものの洗剤を忘れて一度帰り、洗濯物と洗剤を入れて今度こそ!と思ったら小銭を持ち合わせておらず(両替機もなかった)、千円を崩すべく近くのコンビニでソフトクリームを買ってペロペロ舐めながら洗濯をスタートしたら、すべてを見ていたお兄さんが「こいつマジか」みたいな顔をしていた。終了を告げるピーという音が、必要以上に長くて滑稽だった。残念ながら洗濯物は生乾きで、やっぱりチョコミントのアイスも食べたいなと思う。なんていうか、これが本当のわたしである。

 

 

 

 

 

 

永遠が欲しくって少し泣いてみた

ここはファミリーレストラン。かれこれ20分、料理がくるのを待っている。注文したのは、野菜がたくさん入ったスープと、チキン。安い赤ワインが空腹にしみる。プラスチックでできたグラス越しに店内を眺める。斜視乱視。店員は皆やる気がなく、しかしそれを責めるつもりは毛頭なくて、なぜなら時給千円なら妥当だと思うから。「研修中」というネームプレートを付けた店員は、全身武装した綺麗なOLだろうが、爪の長すぎるホームレスだろうが、平等に接客してくれる。テーブルの上のボタンを押す。33番が光る。ワインを追加して、オリーブ色の灰皿を恋しく思う。神様、わたくし、ヤニを喰らいたいのです。

 

本や映画や音楽って、それを受け止めるタイミングや時期によって捉え方が変わるし、響き方も違うから面白いのだと思う。子供の頃には到底理解できなかったことが、歳を重ねるにつれてやけに沁みたりする。些細な描写の意味もわかるし、追体験のように心に問いかけてくるものもある。だから、自分が好きな作品は何度でも、新しい気持ちで受け止めたい。

よく「また同じ本読んでるの」と呆れられることもあるけれど、他人にはわからなくていいから、一生大事にしていたい。そういうものがひとつあるだけで、生きる希望になると信じている。

 

 

「あとがき」が好きだ。

国語のテストでよく出てくるような「作者の気持ちを考えなさい」なんてことはどうでもよいが、本を書いた人が、どんな気持ちでその作品を生み出したかを知るのが、とても好きだ。小説でもエッセイでも、あとがきを読むだけでその作品の見え方が違ってくる。恋しさが募る。愛おしさが増す。大好きだ。

 

大学時代、ゼミの課題でよしもとばななの『キッチン』を再読した。何度も読んでいるし、と思ったけれど、単行本が見つからず、神保町の古書店で新潮社から出ている文庫を買った。

本編を速読して、ページを捲り、「文庫版 あとがき」という文章が目に入った。何気なく読む。

「感受性の強さからくる苦悩と孤独にはほとんど耐えがたいくらいきつい側面がある」

胸を突かれた。一瞬フリーズする。もう一度読む。感受性の、強さから、くる、苦悩と、孤独。ぶわっと、涙が出た。止まらなかった。泣き崩れた。

その頃は「感受性が強い」という自覚さえもなかった。二十歳くらいの頃で、東京での一人暮らしに浮かれ、毎日楽しいと思い込んでいる時期だった。いや、楽しいと思いたかった。憧れていた都会で華々しく、女子大生として暮らす日々のことを。しかし本当は、人間関係に苦しみ、常に不安を抱え、人の顔色を気にしては、呼吸が浅くなっていた。自分が美しくないこともわかっていた。そのことにずっと目を背けていたのに、唐突に現れたよしもとばななの文章に、寂しさを自覚した。しかし、それは自身を追い込むような凶暴な言葉ではなくて、やさしい何かに包まれるような気持ちになった。何もかも許されたようだった。その居心地のよさを、生涯忘れられないだろう。

 

27歳になった今でも、その一文が忘れられない。色あせるどころか、年々光を放つ。強く瞬く。同じような地獄を抱える人に教えたくなる。わたしは幸せだ。お守りのような言葉に出会えたことが。そういう仕合わせかもしれないけれど。

 

 

こだまさんの『夫のちんぽが入らない』は、単行本が発売されてすぐに購入した。あの頃は会社員で、ゆるやかに精神が病んでいたがその自覚がなく、Twitterの「裏アカ」で鬱憤を晴らしていた時期だった。リツイートか何かで回ってきた、「いきなりだが、夫のちんぽが入らない」という文章を読んで、深く興味を持った。本を買い、読む。読みやすい文体で、一時間と少しくらいで読み終わった。凄まじかった。想像していた物語ではなかった。女や妻としての負い目、教師としての苦悩、親との軋轢、ひとりの人間としての生きづらさが、一冊に詰まっている。読み終わった頃には重みが増していた。軽い気持ちで読むんじゃなかったと思った。

 

ほどなくしてわたしは会社を辞め、無職になる。病気だったんだ、と安心してのらりくらりと暮らす。診断書をもらっても、なんだか、ずるいことをしている気持ちだった。後ろめたさがいつでも付き纏った。実際にずるかったのかもしれない。わたしよりつらい境遇の人なんていくらでもいるのに、自分は限界だからもう何も出来ない、と嘆くことが。周囲からは腫れ物に触るような扱いを受けていたし、きっとわたしもそれを望んでいた。かわいそうな人になりたかった。そうでないと、生きていけないから。生きる価値がないと思っていたから。

 

 

こだまさんのことを調べているうちに、「文学フリマ」という文字が目に入った。応募してみる。知らない世界に足を踏み入れた。怖くはなかった。失うものは特になかった。

 

ブログを書いていたら、こだまさんに見つけてもらった。当時働いていた同僚のギャルに、こだまさんの本をおすすめした記事だった。そのギャルとわたしは対極の位置にいたけれど、職場が離れ離れになるときに本を勧めた。彼女はいつも、わたしが書いた「週報」を面白いと言ってくれる人だった。夫の仕事の都合で見知らぬ地に行く彼女に、お守りを持たせる気持ちで本を勧めた。後日送られてきたLINEには「勧めてくれた本、読んだよ。ちょー面白かったよ」と書いてあった。ジェルネイルやまつエクに熱心で、活字なんて縁がない人だったから、わたしにはそれがうれしかった。

 

同人誌を出し、クイックジャパンで記事を書く。わたしの書き手としての人生は、ほぼ、こだまさんの模倣だった。

憧れていた人と同じ道を辿ることで運命ぶるのはわたしの勝手だ。いちいち感動しすぎる。それが長所になることもあれば、短所になることもある。この通り、おめでたい性格だから、わたしはいつも、この日々のことをうれしく思っている。自分の人生を支えてくれた人と同じ雑誌、同人誌に書ける人生なんて、そうそうないじゃない、と。嫌われても好きだと思う。多分ずっと。

 

『夫のちんぽが入らない』の文庫版は、2018年9月14日に発行された。誕生日を目前に控えた、25歳のときだった。近所の本屋ですぐに買い、「特別収録 文庫版エッセイ」を読む。単行本のあとがき、途中から手書きの文字に変わるそれにも十分心を動かされたのだが、文庫版のほうが凄かった。

 

「ちんぽ」という言葉が入ったタイトルの本は、賛否両論のなかでも否定的な意見のほうが多かったのだと思う。タイトルだけで買わない、買いづらい、書店員も売りづらい、セクハラ、最低、メルカリで売りました。「ちんぽ」というたった三文字だけで、作家としての、作品としての命運をわけるのだから不思議だ。

 

文庫版のエッセイもまた、物語としてわたしの心に食い込んできた。本を出版してから、読者の声を聞いてから、夫に心の病を明かしてから。気軽に読むんじゃなかった。ファストフードの狭い喫煙席で、鼻水をすする羽目になるなんて。涙を堪える。目をかっぴらき、ごうごうと鳴るエアコンの風に、瞳の水分を吸い取ってほしかった。しかしそれはかなわない。

 

「ひょうひょうと生きているふりをしていたら、いつかそうなれるんじゃないかと思っていた」

 

無理だった。目に溜まっていた涙がボタボタっと本に落ちる。どんな気持ちでこの作品と向き合っていたかなんて、当事者にしかわからない。わからないけれど、心の隙間を見せられたようなこの一文の脆さが、一生わたしに寄り添うだろう、そう思った。

 

2019年の春、わたしとこだまさんは『でも、こぼれた』という合同誌に共に寄稿し、現在も同じ誌面に名を連ねている。わたしの気持ちはわたしにしかわからないから、他人の声なんてどうでもいいのだけど、これは奇跡のようなもので、もうこれだけで死んでもいいくらいうれしい。こだまさんの気持ちはわからない。どう思われているのか怖くなるときがある。でも、嫌われても構わない。憧れとはそういうものだから。

 

こだまさんとは、三回会ったことがある。主に文学フリマだ。三度目はQJ繋がりで、編集の方を介して会うことができた。会ったときにはもうすでにベロベロで、新宿の中華料理屋で、「こだまさーん!」とバカな小娘のような振る舞いで隣の席に座った。本当にバカになっていたので、トイレに行こうとして歌舞伎町を二十分ほど彷徨う失態も犯したが、距離的になかなか会えないから、酔った勢いで、好きなところを言った。

 

「ちんぽの凄いところ言いますね!いちばん安い指輪を選んで『貴かった』という綺麗な表現、出会い系のおじさんとの描写で『おじさんが紐持参、紐じいさん、ひもじい。心がひもじい』という言葉遊び…」

 

横並びに座っていたから、こだまさんがどんな顔をしていたかわからない。「ひもじい」という表現は、「東北」ならではなのかもしれませんね、というようなことを言っていた。終電を逃し、タクシーに消えた。それきり会っていない。

本当はもっと伝えたいことがたくさんあった。酔っぱらったバカ、というていでしか伝えられなかったのが、とても悔しいということを、こだまさんの共通の知人の方にこぼしたら「シラフで言えば、もっと喜ぶよ」と言われたのが強烈に印象に残っている。言えるだろうか。

 

好きなものが自分を構成する。

好きなものが自分のお守りとなる。

嫌いなものより好きなものについて話したい。生きた証を残したい。

 

真夏に待望の孫が生まれる両親に「よかったやん」と言った。それは、自分が産まずとも、親孝行をしてくれる兄への有難さの気持ちが存分に含まれていた。正直、助かった。

「うれしいけど、でも、自分の娘が産んだ子を抱いてみたいんよね」と母がこぼす。言えない。とても言えない。わたしはもう、生理も不規則で、結婚もわからず、子供が欲しいとも思わんくて、煙草も酒もやめられんし、だから、そういう幸せはあげられんのよ、と。結婚や妊娠という祝福がわたしを呪う。覆せるだろうか。それ以上のしあわせで。

 

ワインが渋くなった。空っぽの家に帰る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

愛とはなんだかわかりません

年配の夫婦が営む古ぼけた喫茶店で夕飯をとる。おじいさんのほうは柔和で、おばあさんのほうは一見きついが、決してやさしくない訳ではない。寒くてかじかんだ手をさすりながら、「すばる」2月号に掲載されていた小山内恵美子『花子と桃子』を読む。とにかく怖くて、いい意味で本当に気味の悪い小説だった。人間の、女の感情の機微の描写がリアルで、何度も血の気が引いた。やがて注文した料理が運ばれてくる。付け合わせのサラダのドレッシングがあまり好きではないが、生の野菜はありがたい。向かいの席には年老いた女性とその娘とみられる中年の女性が座っている。コーヒーを二つオーダーして、飲んでいるのだが、どうやらお母さんのほうは認知症の症状があるらしい。狭い店内で、何度も席を立ってはよろよろとトイレのほうに行き、ドアを開けて何かを確かめている。そのたびに娘さんがたしなめ、店の人に謝っていた。

「なにがそんなに気になるのよ」

「いや、誰かいるかも、しれないし」

「いたところで別になんともないでしょう」

大きなため息をついて煙草をふかす娘さんは、ちょっとやつれて見えた。かさついた髪の毛がバサバサとゆれる。

わたしと向き合う形で座っている老婆と目が合う。ニコっと微笑む。わたしも目を細める。「なに笑ってんだか」と娘さんがまたため息をつく。

食後の飲み物をもらう。紅茶と言ったのにコーヒーだったが、まあいいだろう。ミルクと砂糖は使わないですよと下げてもらう。煙草に火をつけてぼんやりと壁にもたれる。鹿児島に住む祖母のことを考えた。

 


わたしの出身は福岡県だが、本籍は鹿児島県魚見町に置いてある。これは数年前にパスポートを取得するときに気づいた。鹿児島には母方の親戚が住んでおり、やはり父方の親戚より遠慮無く接することができる。子どもの頃は帰省するのが楽しく、十匹超えの犬たちと遊んでいた。

母の母、つまりわたしの祖母は早くに夫に先立たれ、未亡人となった。胃ガンだったそうだ。おじいちゃんの顔はわからない。祖母は昔から洋裁が得意で、自宅の隣に工場のようなものをこさえて、服を作る仕事をしていた。その工場に行くと、工場のおばあさんたちがおいでおいでと構ってくれて、よく黒飴をもらったものだ。

南訛りのきつい祖母は、独特のイントネーションでわたしを呼んだ。

「まーちゃん?」

mee too、という発音に近いだろうか。

その声を聞くと、力が抜けたような気分になる。昔も、いまも。

 


八十歳を超えても元気で、自分のことはすべて自分でやり、町内会の運動会に出るほどエネルギーに満ちあふれていた祖母だったが、三、四年ほど前に祖母と母と叔母で神戸に行ったときに、突然具合が悪くなった。すぐに病院に駆け込むも、半身不随の難病に罹ってしまったようだった。あまりにも突然のことに皆戸惑い、入院や治療に専念していたが、もっと困ったのが、同時にボケてしまったことだった。

 

入院中にベッドの横に座っている叔母に、「恵子、あんた赤ちゃんはどうしたん」と祖母は言った。叔母は、自分の孫のことかと思って話を聞いていたが、それにしても話の辻褄が合わない。よくよく聞いてみると、叔母が三十年前に産んだ「赤ちゃん」の話をしているのだった。叔母は三人産んでおり、その末っ子は今日どうしてるの、と聞いていたようだった。記憶が何十年も前に飛んでいるようだった。最初は驚いて何も言えなかったが、大阪育ちの叔母は「赤ちゃん?あんたの足下におるがな」と適当に流すことにしたんよね、と笑っていた。わたしの母に対しても同様で「えっちゃん、あんたまーちゃんが生まれたばっかやのに、こんなとこ来てからに」と怒っていたそうだ。そんなふうだから、自分のひ孫を見てもあまり実感が湧かないらしく、いつも不思議そうに眺めているのだという。

 


鹿児島の祖母の家に二年ほど前に遊びに行ったとき、すでにボケていて、わたしの顔を見るや否や「えっちゃん、来たんね」と言っていた。母とわたしは目元が似ている。やがて奥から本物の「えっちゃん」が顔を出し、「お母ちゃん、ちゃうやろ」とツッコミを入れる。わたしは祖母の寝るベッドに寝転び、顔を近づけ、「誰ね?」とにやにやしながら訊いた。祖母はぷっと吹き出し、「まーちゃんかあ」と言った。「そうよー、ほら」と言って手のひらを見せる。隔世遺伝で、わたしの手足は祖母そっくりなのだ。祖母はあははと笑う。

「まーちゃんは、何歳なんだっけねえ」「わたし?いま、四十歳」適当なことを言うと、「へー!結婚、してたっけ」と目を丸くしていた。「しとるさ。夫が三人、子どもが十人おるん」と言ったところで叔母に「なんでやねん」とつっこまれる。アハハと祖母が笑う。

祖母のエピソードは本当に面白くて毎回爆笑してしまうのだが、銭湯の帰りに他人の服を着て帰ってきた話が特に好きだ。ちなみにこれはボケる前の話である。全身違うコーディネート、しかも違う靴を履いて帰ってきた祖母を見て、叔母と母は青ざめ、「早く戻って返してこんね!」とこっぴどく叱ったが、当の本人は「これでいいんじゃないかな~」と抜かしていたそうだ。全然よくはない。他にも、買い物に行こうとバスを待っていたら、全然知らない爺さんと何故か意気投合して、買い物に行かずカラオケデートに興じたこともあるらしい。到底理解できへんわあ、と嘆く母たちではあったが、その一方で「マリにそっくりや」と口を揃える。大雑把で適当で脳天気。確かにそうかもしれない。わたしも何故かよく知らない人についていってしまう。いつも、危険より興味が勝る。これも隔世遺伝なのだろう。祖母がわたしを忘れる日は、くるのだろうか。この手のひらの形と、サイズの小さい足を見せれば、思い出してくれるだろうか。

 


昨年の正月に長兄が電撃結婚を発表して、たいそう驚いたのだが、今年の正月はなんと次兄の電撃結婚を聞かされた。一年のうちに二回も兄弟の結婚式があるなんて忙しい。次兄はとてつもなく激務で、それは同じ血が流れる者として誇りではあるけれど、いつ死ぬかわからない仕事なんて本当は怖い。子どもの頃から、兄たちがなんとなく普通ではないのはわかっていた。勉強もスポーツも人並み以上にこなす二人のことを、「あの○○くん」と大人は呼んだ。それが無能な自分にとってコンプレックスだった時期のほうが多かったけれど、いまはただ尊敬している。

 

とても乾いた家庭だと思う。文章やコラムだけ読んだら仲の良い、温かい家庭に見えるかもしれない。しかし、この年になるまで不和が多く、会話すらままならなかったのが現実であり、大人になったいまでも、おしゃべりな母がいなければ全員黙りこくってしまう。冠婚葬祭以外では連絡をとらず、兄弟全員が大学進学を機に実家を出て、離ればなれの場所で生活をして、精神的な距離も遠かった。個として生き、近寄ることもなくそれぞれの人生を歩んできた。知らないことのほうが多い。知らせていないことが、多い。わたしはどんな風に見えているだろう、とよく考える。四年制の大学を出て、就職した会社を二年で辞め、東京でのらりくらりと暮らしているわたしは、失敗作のようなものではないか。結婚も妊娠もしない、酒と煙草を好む長女は、九州ではとっくに淘汰されていただろう。

 


去年のお盆に帰省したとき、義姉と深夜に飲み交わした。

「マリちゃんはなりたいものとかあるの?」

缶チューハイを片手に視線を落とす。何も言えない。すこしの沈黙。

「就職、してた時期もあるんやけどね…なんか、色々あって病院で検査したら、ちょっと普通ではないみたいで、多分定職にはつけんのよね。なりたいものかあ、わからんねえ」

適当に濁したものの、恥ずかしかった。出来損ないを、病気のせいにした自分が。

義姉はとてもやさしい人で、

「いいよいいいよ、まだ若いんやから大丈夫!」

とわたしを励まし、流れる涙をハンカチで拭ってくれた。

風呂上がりの母が、短い髪を拭きながらソファーに腰掛ける。いつからそこにいたのか、ぽつりぽつりと義姉に話し出した。

 


「マリはね、変わっとるよね。ほんま昔っから。何するかわからんけん、小さいときは、いつもお兄ちゃんたちが後ろから着いていっとったなあ。親バカやけど、この子は才能あったと思うよ。絵もうまかったし、音楽も得意だったし、芸術的っていうん?そういうんはあったねえ。でもね、普通じゃないことって怖かったんよ、わたしたち夫婦にとって。どうにか普通にしたかった。だから何度もぶつかったし、この子の可能性をねじ曲げてきたんよ。わたしたちがそんなことせんで、のびのび育ててたら、今頃どんなんになってたんかなって、いまでもたまに思うんよ」

 

 

 

「ほな、寝るけんね」

シャンプーのにおいを残し、母は寝室へ向かった。

いまわたしは東京で好きなことしてるんよ、ほら、いちばん好きだったこと、お母さん褒めてくれたことよ、と言えたら、どんなによかっただろう。多分ずっと言わない。言えない。誰も傷つけたくない。家族に恥をかかせてはいけない。ずっと黙っていよう。かくしごとかくしごと、しあわせ?

 

 

夏に新しい命が生まれる。

次兄の結婚や待望の初孫に、いま両親はうれしい悲鳴をあげている。

人生が、動いてゆく。生活はよどみなく進む。駅前のコンビニでビールの空き缶を潰した。

光を纏い、春を待とう。