悩んでなんかないわよね
「どこへ行ったの どうして泣くの 夢は叶えるものよ」
人生に絶望していたときにスーパーカーの「DRIVE」を聴いて、杉並のアパートで号泣したことがある。夢だの希望だの愛だの、そういう平凡な言葉はどうでもよかったし、聞き飽きていたはずなのに、なぜかこの一節だけは特別だった。どうしてわたしはあんなに泣いていたんだろう。
「忘れてなんかないわよね、ちょっぴり夢に疲れただけでしょ?恐れてなんかないわよね、ちょっぴりあなたが弱いだけでしょ?」
揺らぎそうになるたび、フルカワミキの声が、石渡淳治の言葉で、檄を飛ばしてくれる。
fmmzkさんに会った。
というのも、fmmzkさんは下北沢B&Bで開催されたトークイベントのために上京されていて、「僕マリさんの働いてる喫茶店に寄って帰ろうかと」とDMが届いたのが事の発端だった。
しかしわたしは出勤ではなかったので、「もしよかったらお茶しませんか」と勇気を出してお誘いしたら、快諾してくださったので、ご一緒するに至った。最初、返事がこなかったので「キモがられている」とかなりしょんぼりした。わたしはコミュニケーションの取り方、人との距離の取り方が壊滅的に下手くそなので、基本的には「待ち」の姿勢だが、こんな機会もないだろう、と思ってエイヤっと誘ってしまった。
お茶する前日、つまりトークイベント後にご挨拶をして、福岡のお土産をいただく。「じゃあまた明日〜」と別れ、ひとり帰路についたのだが、イベントで全然うまく話せなかった事、考え過ぎて精神的に限界を迎えていた事で途中で無理になり、タクシーを拾って帰った。
「気にしすぎ」とよく言われるが、だからといってそれが直るわけではない。お金を払って来てくれた方の為になるような話をできたか微妙だったし、途中で意識が飛んでしまって「いま何の話してましたか」と聞いてしまう一幕もあり、挙げ句の果てに一人でゲラゲラ笑う奇行に走ってしまい、とてつもなく死にたくなった。つらかった。
化粧だけ落として眠剤を流し込み寝て、翌朝起きてfmmzkさんの「起きました。9時41分着です」というDMを見て慌てて風呂に入る。
駅で待ち合わせてわたしが働く喫茶店へ。同僚におはよ〜〜と挨拶をしてfmmzkさんが座ってみたかったという席へ。
そもそもわたしがfmmzkさんと相互フォローになったのは『でも、こぼれた』の感想のブログを見てからだった。それまでは「Twitterの面白い人」という印象だったが、ブログをしっかり読むと人物像に興味が湧いた。
書いたものに関しては、基本的にどんな感想でもうれしいけれど、fmmzkさんの感想は解析的な観点と持ち前の文章力が作用して、なるほど…と思って何度も読んだ。
『健忘ネオユニバース』が、たとえ千人に無視されたとしても、fmmzkさんがあのブログを書いてくれたなら、わたしは書いて良かったと本気で思う。
名刺を渡してお互いの素性を明かし、昨夜のイベントの感想をいただく。
「マリさんの、『このままでいい』という言葉、よかったです」と言われたとき、静かに驚いた。イベントの締めの「これからどうなりたいか」という問いに答えた言葉だった。
不意打ちの問いに思わずぽろっと出た言葉だが、しみじみ考えてみて、わたしはいま置かれている状況をうれしく感じていると気付いた。
狂った喫茶店でやさしいみんなと働く生活も愛しているし、「僕のマリ」として同人誌やネットプリント、商業誌で文章を書く人生だって手放したくない。だから、このままがいい、と思った。
ふいに放った言葉を、fmmzkさんはしっかり受け止めて解釈してくれていたことに感動した。わたしが彼に会ってみたいと思った直感は間違いではなかった。
わたしとfmmzkさんは年が11歳離れているので、ある意味あまり気を遣わずに話をすることができた(むろん、相手が気を遣ってくださっていることに甘えていた)。会話というより対話だったな、と思う。
お茶をしている途中で、常連のドッスン(スーパーマリオに出てくる岩の敵に激似のおじさん)が他の卓の花瓶を倒していて水がパシャーとこぼれて、fmmzkさんがその卓のおばさんに「大丈夫ですか!?」と声をかけていてやさしかった。わたしは店員なのに何もせずケラケラ笑っていた。ドッスンの顔がめちゃくちゃすごくなっていたから。
fmmzkさんの飛行機の時間があるので早めに店を出て、駅前でしばし話す。「日なたに行きましょう」と暖かい場所を勧めてくれて大人だった。
別れ際、「とにかくおじさんは応援してるからね」と声をかけていただき、改札前で握手をした。帰って寝転びながら「今日の自分キモくなかったかなあ」と考えていたら、「お友達になりましょう。妻のことが大好きなので友達止まりですが」というLINEが届き、目を細めた。心が大丈夫になった。