うわごと

僕のマリ

ずっとまともじゃないってわかってる

飛行機が離陸する前、陸にいる整備士にこっそり手を振るためにいつも窓際の席を取る。

福岡空港行き、ご搭乗案内、間もなく終了致します」という声を聞きながら慌てて機内に乗り込んだ。祖母が死んだのだ。

 

祖母の訃報を知ったのは病院の待合室だった。

その日は朝起きた時から調子が悪く熱があった。喉も痛い。身近にインフルエンザに罹患した人が何人かいたので、念のため病院へ行くことにした。

ベッドの中で病院の診察時間を調べるも、近所の内科や耳鼻咽喉科はどれも木曜定休だった。こんな仕打ちがあるとは、と思いながら、唯一診療していた少し遠い病院へバスで向かった。

 

熱と血圧を測って診察して、インフルエンザの検査をするので待合室でお待ちください、と言われて何気にiPhoneを眺めていたら、父からのLINEが入っていた。朦朧としていた意識が急に引き戻される。

「ばあちゃんが亡くなりました。」

あまりにも静かで急だった。

祖母が亡くなった事実もとより、「母を亡くした」父の事が気になった。

そしてあまりにも他感的な自分が嫌だなと思いつつも、視界がぼやけた。

 

結局インフルエンザではなかったが胃腸風邪でしょう、とのことだったので薬を貰う。

この時点で夕刻だったので、慌てて喪服やキャリーケースを買いに行き、仕事を休むこと、週末に約束をしていた人に断りの連絡を入れて、荷造りをして航空券の予約をした。怒涛の一日だった。

 

東京は雪が積もっていて、 飛行機が飛ぶか心配だったが、無事に離陸した。

天神で同じく県外から来ている兄弟と待ち合わせするべく、喫茶店で本を読んでいた。

ずっと気になっていた爪切男さんの「死にたい夜にかぎって」を読んでいたのだが、よく考えればなかなかの不謹慎である。

 

お通夜が始まるギリギリに式場についた。親族含め、お通夜には100人近くが集まっていた。

親戚どころか兄弟に会うのすら久しぶりだったので一瞬お互いが何者であるかを確認しあっていた。

 

祖母の死に顔は化粧を施されており、生前より10歳は若く見えた。

「スノーより盛れとるがね」と従兄弟が漏らす。確かに近年流行の加工アプリを遥かに凌駕する加工技術であった。

寿司を食べてビールを飲んで、翌朝も早いので式場近くのホテルに泊まった。

 

告別式は昼過ぎに行われた。

孫代表の弔辞を読んでほしいと頼まれたので、祖母との思い出を考えていた。

私は早くに九州を出てしまっていたので、たまに帰ると、祖母はレアなポケモンが出た時のように喜んでくれた。

去年、新卒で入った会社を辞めたので年に二回も福岡へ帰ってくることが出来た。最後に会ったのは8月だ。

「マリちゃんの、笑顔のかわいかね〜!」「うれしか、うれしか」と嗄れた声で繰り返していた。

 

祖母は享年92歳の大往生だった。

要介護状態ではあったものの、最後に会った時が元気で、だからこそ亡くなった報せが届いた時はただただ驚いた。死因は急性胃腸炎であったそうだが、あまり苦しまず、静かに息を引き取ったそうだ。

 

弔辞では、「別れは少し寂しいけれど、年をとったぶんだけ、ばあちゃんの人生は華やいだと思います。これだけの人に惜しまれたこの葬式がばあちゃんの人生を物語っています。これほどまでに幸せな最期をわたしは知らない。紛う事なきハッピーエンドでしょう。幸せな映画のエンドロールを眺めているようです。ばあちゃん無くして無かったこの人生を全うする事が最大の供養だと思います。これを以ってばあちゃんへの餞の言葉とさせて頂きます。」と読んだ。気障な台詞も恥ずかしくなかった。

頭のなかでは「漂流教室」が流れていた。告別式では、泣かなかったんだ、外を出たらもう、雨は上がってたんだ。

 

出棺の際に、幼い曽孫達が祖母へハイチュウをあげていた。3歳のひーくんがハイチュウを祖母の亡骸に投げつけていたので我慢できずに吹き出してしまった。節分と勘違いしたのかもしれない。そして献杯と称して祖母の好きだったコーラを葉に浸して口元を濡らしていたのだが、曽孫たちの大サービスで口元がコーラでビシャビシャに溢れていた。

式場のスタッフの男性が肩を震わせながら「お口元を拭いてあげてください」と言ったのでもう一度吹き出してしまった。

献花を親族一同で入れまくり、祖母が草花まみれになったところで喪主である叔父が「もう重かって!」と制止する。うちの親族は何でもやりすぎである。

 

火葬場へ移動して祖母を火葬して、納骨の儀を執り行った。

シリアスな場面でもおしゃべりな曽孫が「ばーばアッチッチっやねえ」と言う。恐らくアッチッチどころではないと思うが、小さな子供が沢山いると葬式も沈みすぎなくて良いなと思った。

 

夜はいつも親戚が集まる料亭で会食をした。座敷の壇上に祖母の遺影と納骨したばかりの骨壷が置かれている。

「湿っぽいんはやめて、楽しい宴会にしようば思います、お袋も賑やかな方が喜ぶんで」と言って叔父が献杯の音頭をとる。

 

酒豪一族はひたすら飲み続ける。

料亭の給仕の人が追いつかないペースで瓶ビールを開けまくる。ものすごい速さだ。

酔っ払いが続出すると共に、「誰か一曲歌えや」モードに入ってきた。

従兄弟のヒデ君が祖母の遺影に向かって「千の風になって」を熱唱し、

「ばあちゃん、おいはお墓の前で泣かんばい!!」と絶叫していた。

歌はめちゃくちゃ上手かった。

 

曽孫で最年長の18歳の男の子の計らいで、スピーチの最中に突然「ダンシング・ヒーロー」を流すので孫と曽孫全員起立して踊ろうということになった。

孫12人、曽孫14人の子沢山の家系でエグザイルとどっちが多いかわからないが、「これからも、もっともっと一族全員で頑張り…♪ティーティーンティン♪『ハイッ!!!』」という合図で全員立ち上がった。

わたしは音楽が鳴った途端に覚醒してしまった。自席からステージまで一目散に駆け走り全力でダンスした。それまで大人しかった私が突然ダンシングマシーンと化した。「マリちゃんどがんしたとね!」と叔母が叫ぶ。どうもこうも、踊りたいのだ。従兄弟や兄もステージに誘き寄せて全員で踊りまくる。喪服でこんなに限界の動きをするとは思わなかった。

自分を17歳で産んだナオちゃんに「かあちゃん、歌って!!」と呼ぶ曽孫。

柳川の荻野目洋子と化したナオちゃんもノリノリである

ふと目をやると臨月を迎えた従姉妹も大きなお腹で踊っている。踊るな。生と死が同時にきてしまう。

 

曲も大サビを迎える頃には祖母の遺影と骨壷を中心にサークルピットが出来ていた。サンボマスターのライブ以来のサークルピットである。

全員が飛んだり跳ねたりしているので遺影が揺れまくっている。

納骨したての骨を囲んでグルグル回っている様子は死者を弔う未開の地の部族の儀式のようだ。

踊り終わったあと、ストッキングが伝線していた。後半一緒に踊った3歳児はウーロン茶を一気飲みしている。

叔父達が「お前は気が狂ったんかと思ったばい!」と口々にした。「私には0か100しかないけん…」と言うしかなかった。

筑後弁と博多弁が怒号のように往き交い、全員ものすごい速さでビールを飲み干し、祖母の葬式は見事に狂乱の宴となって終了した。

 

酔い醒ましに一人で夜の田舎道を歩いて、歌ってみたりした。

街灯も少なくてお店なんてほとんどない。田んぼと寂れた生協がある。

自分が東京に住んでいる年月が長いのか短いのかわからなくなる。思えば遠くまで来たものだ。

 

いつも帰りの福岡空港は名残惜しいけれど、四十九日と初盆、奇しくも祖母の命日に入籍していた従兄弟の結婚式があるので、今年は忙しくなりそうだ。

 

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