うわごと

僕のマリ

わたしはまぼろしなの

 

3時過ぎまで飲んでえらく酔って帰ってきた。

手元がおぼつかなくて、真夜中にキッチンでグラスを2つ割った。荒い呼吸で粉々になった破片を拾ってビニール袋に入れて、ぎゅっと結んだ。少しだけ指を切った。

出版社の方達と飲んでいて、酔っていた私は本音を吐露した。

「私は人と、特に同い年くらいの女の子とあまりうまくやれないんです、仲良くしたいと思っても、正体の分からない後ろめたさで、歩み寄れないんです。昔からそうだった。ずっと文学や言葉に寄り添って生きてきて、それが自分の武器でもあるのに、どうしてか、人と対峙するとそれが全く意味をなさずに、効力を失って、思っている事を何も言えなくなってしまうんです。」

言い切る頃にはゼエゼエ息が切れて、おさえきれない涙がボロボロと出ていた。

 

優しい年上の彼女は酔って潤んだ目で私を見据えて、「あなたはとても器用そうで物凄く不器用で、自分が盾になっても弱い人を守ろうとして、さみしくてつらかったね」と言ってくれた。

ママがくれた熱いおしぼりに涙を吸わせた。欲しい言葉をくれる人にただただ救われた。

 

そして、「あなたは普通の人よりかなり感性が豊かで純粋だから、自分が感じてる生きづらさとか、そのズレを、思うままに書いてみたら、きっといいと思う。思うだけで書いてない人が物凄く多くて、だから共感してくれる人は絶対にいるから」とも言ってくれた。

 

「とにかく書き続けるんだよ」

という言葉を私はお守りにして生きていく。今までもそうだったし、これからもそうだったじゃない。

 

昨日はとんだラッキーもあった。

 

二ヶ月ほど前の10月13日金曜日、銀杏BOYZの武道館へ行った。

関係者席だけでどんだけ埋まるんだ?と思うくらいのチケット戦争、取れなかった人たちはリハーサルの音漏れの時間からあの千鳥ヶ淵周辺にいたという。

私はラッキーな友人に取ってもらったチケットで、2Fの日の丸真っ正面の席だった。

開演のギリギリに九段下について、前も武道館で会った(ストーンローゼスを観た)友人としばし近況報告するも、お互いどこかうわの空だった。

私たちは約10年前、同じ軽音部でゴイステや銀杏BOYZをコピーしていた。

山に囲まれた高校の放課後の視聴覚室で、「BABY BABY」や「もしも君が泣くならば」を、まだ下手くそな楽器で、下校時間のギリギリまで、全力で鳴らしていた。私達の年ですら使い古された曲たちは、飽きることなく常に青春を共にした。

やがて上京して高円寺に引っ越して「純情商店街」を見た時、人混みの中でイヤホンを耳に突っ込んで「東京」を聴いた時、田舎者の私にはそれだけで胸が詰まるような思いにさせたバンドだった。

 

やがて開演して、バックバンドが集まる。大好きな、元andymoriの二人もリズム隊にいる。

そしてモッズコートに身を包んだ峯田が現れる。日の丸を背負った、峯田和伸まで約150m。

 

思い入れのある曲をたくさんやってくれて、泣きながら踊りながら叫びながら、あっという間にライブは終わった。

特に「駆け抜けて性春」「トラッシュ」で何人が心を撃ち抜かれただろうか。

泣き崩れて、近くの中華屋で放心しながら友人とラーメンを食べた。

「峯田は私たちの宗教で青春そのものだったね」とか言いながら腫れぼったい目で懐かしんだ。

 

しかし昨日、縁があって峯田の接客をした。ロックの神様まで、約5cm。

モッズコートに身を包んだ、プクッとした涙袋の男性が峯田とわかるまで時間はかからなかった。物腰の柔らかい、優しい人だった。生きていればいい事もある。

握手してもらいたい気持ちをグッと抑えて、そのあとカラオケでさんざん銀杏ボーイズを熱唱した。

 

わたしはまぼろしなの

あなたの夢のなかにいるの

ふれれば消えてしまうの

それでもわたしを抱きしめてほしいの

 

初めてこの曲を聴いた時、突然現れた天使の歌声に何度となく泣いた事を思い出した。