うわごと

僕のマリ

新宿で天使が轢かれてたんです

 

午前2時、不眠症の女の子から貰った誕生日ケーキを食べている。

 

25年前の1992年9月15日6時6分、予定日よりかなり遅く、世界に這い出て来た。子宮の中から些かマイペースだったのだ。4000g近くとかなりの大きさで出生したが、何故か兄妹の中で1人だけ小さいまま成長した。

6時6分生まれというのを覚えているのは、キリスト教では6が悪魔の数字である、というのを子供の頃に聞いた事があるのが所以だ。わたしは悪魔の子かあ、と考えたりもした。

でも、私の一番好きな映画のタイトルが「バッファロー'66」だったので、けっきょく、悪魔でも嬉しかった。

 

マリというのは両親が待望の女の子の誕生に悩みに悩んで付けた名前。漢字で変換しても一発では出てこない。外国でも通用して、呼ばれる響きがなんだか嬉しくて、気に入った。

1992年にデビューした大好きなバンドJUDY AND MARYの名前の由来は、ポジティブで快活さを想像させる「ジュディー」と、”すこし捻くれ者のネガティヴな”女の子「マリー」で、それを知った時、私にぴったりで笑えた。

スピッツの人気曲、「僕の天使マリ」が入ったアルバムがリリースされたのも、奇しくも1992年だった。自分の地元の好きなバンドが自分の名前を呼んでくれる歌は格別だ。

私はそういう小さな喜びを噛み締めてお守りのようにする癖がある。幸せだろうか。

 

この25年、思えば映画のような人生だった。自伝を書いたら何日かかるだろう。ある人に「なんだか、マリちゃんは50年くらい生きてるみたいだね」とふと言われた事を思い出した。自他共に認める波乱万丈だった。自分の人生のこと、阪神淡路大震災地下鉄サリン事件同時多発テロ、3.11、イスラム国。

冬の日本海のような激しい情緒では受け止めきれないたくさんの出来事があった。

 

 

とにかく生きづらくて、毎日泣き続けてどうしようもなかった頃に読んだ、よしもとばななの「キッチン」の文庫版のあとがきが私の人生の支えの一つになった事がある。

 

「感受性の強さからくる苦悩と孤独にはほとんど耐えがたいくらいにきつい側面がある。それでも生きてさえいれば人生はよどみなくすすんでいき、きっとそれはさほど悪いことではないに違いない。もしも感じやすくても、それをうまく生かしておもしろおかしく生きていくのは不可能ではない。」

 

東京のひとりぼっちのアパートでその言葉に打ちひしがれて泣き崩れた事をいつまでも覚えている。

 

私は好きなものが多過ぎて、その一つ一つへの熱量が激し過ぎて、どれも選べなくて、25歳を迎えるまで結局何者にもなれなかった。人生にいじけて気付けば酒ばかり飲んで過ごしてきた。「25歳で花が死んだ」と歌っていた大好きなバンドのあの曲を聴きながら今も換気扇の下でずっとタバコを吸っている。いつかライターで羽を焼かれるだろうか。

 

だけど私は、ださくても独りよがりでもいいから、好きな事、面白い事にどんどん首を突っ込んで好き勝手に生きようと決めた。そう思える出来事があった。

音楽も文学も犬も花も酒も好きだ。

今年の夏、8キロ痩せたボロボロの身体でどこまでいけるだろうか。

骨が目立つようになった背中に生えた羽を見せて、死ぬまで恥をかき続けようと思う。

 

四半世紀、死ねずに生き延びた私の暗さと烈しさを全部ぶち込んで、来年の春に一発やらかすと決めた。