うわごと

僕のマリ

ぬるい息

 

今年の春、実家で飼っていた愛犬が16歳を目前に死んでしまった。

 

少し珍しい犬種で(アメリカン・コッカースパニエル)、眼や耳の疾患になりやすいらしく、うちの犬も早くに症状が出た。最終的には全盲で唯一聞こえる耳も遠く、痴呆のような症状も出ていた。

それでも家族のことだけは覚えていて、たまに私や兄達が帰省するとたいそうはしゃいでいた。

 

うちはある意味では滅茶苦茶な家庭だったけど、犬がいたから各々が助かっていたのだと思う。

私達はたいそう犬のことを可愛がり、家族全員で一斉に犬の名前を呼んで誰のところに来るか意地悪く競ったり、色んなオヤツの好みを探ったり、今までした事もなかった家庭菜園を作り、犬の大好きだったトマトを作った。庭にトコトコと出て行って、素知らぬ顔で口周りにトマトのグジュグジュをつけて帰ってくる姿は何とも笑えた。病気になってからは、何百万も注ぎ込んで、手を変え医者を変え、ずっと生かす事に全てを賭けていた。犬中心の生活だった。

 

そして、いよいよその命が尽きようとする深夜2時、普段上がる事を許していなかった寝室で、浅い呼吸の中、大好きな両親に交互にさすられながら眠るように死んだ。

深夜2時半、父親が犬が死んだ事を兄弟全員にメッセージで告げた。

 

私はたまたま仕事が休みだったので急いで実家に向かい、保冷剤で冷やされたカチカチの犬の身体を触った。あの少し太った、温くて荒い息の犬ではなかった。

それでも自然と涙は出なかった。

悲しみがないと言えば嘘になるが、本当に頑張って生きた、もうやりきったと思った。

庭の花や好きだったおやつ、使っていたタオルと一緒に段ボールに入れてペット用の火葬場へ連れて行った。

同じように、愛猫、愛犬を失った人たちが段ボールを持って別れ惜しげにしていた。

事務的な手続きを終えて、最後の別れを告げて、大好きだった真っ黒な毛むくじゃらの愛の塊を燃やした。

 

そして夏、私にとっては来なかった夏だが、墓参りをしよう、と家族で墓参りすることになった。

諸々の事情があり人間の墓参りすらロクにしなかった家庭なので、唐突に犬の墓参りをするのに笑えるほど狼狽えた。

お香を焚く時点でボキボキに折ってしまったりお供え物という概念を忘れたりしていて大変滑稽な墓参りだったと思う。

そのペットの霊園を眺めていると、鳥やウサギの墓標もあった。凄いな、と父が呟いた。

 

犬がいる人生は良かった、これからも犬によろしく願いたい。犬猫畜生と分かりあいたいのだ。