うわごと

僕のマリ

それぞれのスピードでどこまでも行こうよ

不運なことに、25年間で3回交通事故に遭っている。

オカルト信仰のある知人からは「絶対に取り憑かれてるからお祓いに行きなよ」と代々木の神社を紹介されたが、「確かに頭は打っているがいずれも軽傷だったので、むしろ強力な守護霊が憑いているに違いない」と言って論破することに成功した。

 

しかし、いかんせん不注意が多くぼんやりした性格なので、車の免許を取る事は自粛した。

それ以前に自転車に乗れなかった。

わたしはかなりどんくさくて運動音痴なので自転車すらまともに漕げなかった。25年8ヶ月そうだった。

しかし、ある日を境に急に乗れるようになった。

 

知り合いの女の子が自転車を新調したので、かわいいね、と褒めたところ、「乗ってみる?」と勧められた。

彼女はわたしが自転車に乗れないことを知っている。

「いやいや、無理だよ、絶対転ぶから」

「試しに!試しに跨いでみなよ」

「わかった…傷つけないようにする…」

 

自転車のロックを外し彼女との10cmの身長差を埋めるべくサドルを下げてもらう。跨ってみる。ぐらぐらする。しかし、足はつくので何となく安心する。

小学生の時、一輪車が異様に上手い女の子居たな〜とか思いながら、思い切ってペダルを踏んでみる。

よろよろよろ…ナメクジのように前進した。

 

乗れた!!!

 

ちょっと信じられないのでしばらく漕いでみる。

スイ〜〜…風を切り、短い髪がなびく。スカートがはためく。気持ちいい。

こんなに気持ちいいとは思わなかった。

 

「乗れた!自転車乗れた!めっちゃ楽しい!ありがとう!!」

自転車を降りて、人目を憚らず彼女に感謝した。

 

さて、乗れるようになったらなったで、急に自転車が欲しくなってしまった。

今までは乗れなかったので当然欲しくもならなかったが、乗れる今では話が違う。喉から手が出るほど欲しい。

 

安いママチャリだと一万円くらいで売っているだろうが、わたしが乗らせてもらったのは小さいチャリだ。

総称が分からないが、車輪も小さくて全体的にコンパクトなタイプのもので、身長的にもそれにしか乗れない。

 

欲しいけどすぐ必要って訳でもないし…とぼんやり考えていた。

 

自転車に乗れることが発覚した三日後、行きつけの喫茶店で絵描きのAさんとお茶をしていた。

Aさんは次回の文学フリマのイラストを担当してくださるので、その話をしつつ、のんびりのほほんとお茶を飲みながら雑談していた。

彼女も身長が148cmほどで、いつも小さいチャリに乗っていた。

 

そこの喫茶店のマスターの爺さんが気さくで色々話しかけてくるのだが、その日唐突に、「ねえ、チャリいらない?」と切り出された。

 

胸の内を読まれているのか、スマホの広告のような的確さに一瞬心臓が止まりそうになるも、「欲しいです、ちょうど欲しかったんです!」と即答した。

「本当?あげるよ、うちにあっていらないから困ってんだ」

「ああ、でも、わたし小さいチャリしか乗れないんですよ…」

「小さいやつだよ、Aちゃんのみたいな。君でも乗れるよ。明日店に持ってくるから取りに来て」

 

やったー!!!嬉しくて小躍りしそうになった。

聞くと、職業柄、色んな人から色んなものを貰うらしく、引き取り手に困っていたらしい。

しかし、こんなタイミングの良さなどあるだろうか。

一生分の運を使い果たしたような焦りも感じたが、素直に喜ぶことにした。

 

次の日、夕刻に喫茶店を訪れる。

マスターはいつも店先に立って道行く人に挨拶したり散歩中の犬に構ったり歩きタバコの人を注意したりしている。

完全に地域密着型のおじさんだ。

わたしを数メートル先に見つけた瞬間、「おう、来た来た!待ってたぞ」と笑顔で言った。

 

「これなんだけど」

店先に停めていた自転車を見せてくれた。

なんと、サドルがMAXまで上がって、ハンドルもMAXまで上がっている歪なスタイルだった。

驚いてゲラゲラ笑う。

マスターは、してやったり、とニヤニヤしながら「いいだろ〜?」と言っていた。

「そんな高いの乗れないですよ」

「エーッ!?乗れない?仕方ねえな〜、赤ちゃんサイズにしてやるか〜」

マスターはサドルとハンドルを一番下に下げながら、小芝居の成功に満足そうにしていた。

この爺さんは、本当にふざけるのが大好きなのだ。

 

そして、確かに小さいチャリ!そして綺麗、なんと折り畳みも出来る。

こんなに良いものをタダで貰っていいのか…と再三思ったが、持ってけ!と言われるので感謝した。

 

「防犯登録ちゃんとしてね」

「警察署とか行くんですか?」

「いや、自転車屋で出来るよ。そこの自転車屋に行って、喫茶店のおじさんに貰いました、って言って登録してもらってこい」

「わかりました、今行ってきます」

 

茶店のテーブル席には休憩中のお巡りさんが数人いた。

マスターとわたしのやり取りを笑いながら見ている。

 

「サドルの高さ、大丈夫か?」

「漕いでみます、よいしょ」

 

マスターと警察官数人に見守られながら、二度目の自転車走行。また少しよろける。

「お、おい大丈夫かよ」

「いけます、大丈夫です」

 

スイ〜〜…漕げた。目と鼻の先にある自転車屋を目指し、走る。

後ろから、「おせえ〜〜」と聞こえるが気にしない。

 

完全に自意識過剰だが、自転車に乗った自分にいつまでも慣れなくて、漕ぎながらひとりほくそ笑んでいる。おもろいのだ。

わたしと会ったことがある人はわたしが自転車に乗っているところを想像してみてほしい。

しばらくの間は笑みがこぼれて仕方なかったが最近は慣れてきた。

真顔で漕げるようになった。

 

それからは自転車に乗るのが楽しすぎて、あえてまわり道をしたりするようになった。

スーパーへ向かうために自転車へ乗っているというよりは、自転車に乗るためにスーパーへ行っているようなところがある。

 

先日も、雨が降っているにも関わらずたまらず自転車に乗りたくなり、青梅街道を爆走した。翌日体調が悪くなった。

深夜に「MATSURI STUDIO」と書かれたTシャツを着て自転車を漕ぎまくっている女がいたらわたしだと思ってそっとしておいてほしい。

「爆走」とは言ってもあくまで主観なので、余裕で競歩に負ける速度で漕いでいる。しかし、気持ち的には「爆走」なのだ。

 

おっそくてちいせえチャリで色んなところへ出かけようと思う。

茶店の爺さん、ありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

試してみるって約束だべ?

赤提灯に誘われて寂れた居酒屋にいる。

瓶ビール瞬殺して二本目、手酌が好きだ。次はキンミヤを飲もう。

 

最近突然胃が痛くなる。

感覚的に、去年胃潰瘍をやった時の痛みに似ている。シクシク痛い。

内視鏡検査が痛くて、止めることが出来ない生理的な涙を流したあと、情けなくて寂しくて流した感情的な涙を流したことを、昨日のことのように覚えている。

ずっと病気だ。

 

声が小さいとよく言われる。

心の声は馬鹿にでかいのに。

 

わたし、人とうまく話せないんです。

お酒を飲んでやっと、普通に話せるんです。

でも、わたしの田舎では、女が酒を飲むのもだらしないって言われます。

どうして?って言っても、誰も説明できないのです。

そんな不条理はやめにしませんか。

お酒を飲んで何年経つだろう?

わたしは若い頃に死に切れなかったんです。

それからはがむしゃらに生きてます。

いつもエロいことばっか考えています。

性とか愛とか、しがみつくしかないのでしょうか?

 

孤独ではなく孤高と思い込むことで生きている、思い込んでいる、25歳の溜息。

わたしも年を取ったものだ。

 

咲いても、喜びすぎないから

茶店で斜向かいの席に知り合いが座ってきたので、テーブルに生けてある百合の花で顔を隠している。世間は狭く、百合は強く香っている。

 

週に一回、ネットプリントに文章をアップロードすることにした。

100%のエッセイを読み切り方式で書いている。

普段自分ことをあまり人に話さないので、膿を出すように、物凄くすらすらと言葉が出てくる。

あまりにも明け透けに書いたので、「秘密の日記を盗み読んでいる気分になる」と言われた。それでいい。

わたしの周りの人は、わたしが文学フリマに出たり文章を書いたりしていることを知らない。

家族はわたしが東京で何をして暮らしているのかさえも知らない。でもそれでいい。兄達だけは立派に、優秀に育った。それで十分だと思う。

 

一年前に、出版社で働いてる人と飲んでいて、酔った勢いでつい、文学フリマに出ようと思っています、と溢した。

その人もひどくベロベロになっていたので、明日にはどうせ覚えてないと思うし、話半分に聞いてくれればいいと思った。

その時は全く別のことを書こうと思っていて、何気なくその事を話したら、「どうして?あなた自身のことを書きなさい」と強い眼差しで言われた。

 

「あなたがきっと今感じてる生きづらさとか感じやすさとか、そういうことを書きなさい、絶対にその方がいい」

 

絶句した。生きづらいとも感じやすいとも打ち明けたことはなかった。

でもそれは確かなことだった。

気づいたら涙がボロボロと流れていた。

 

「ほら、そうなんでしょ。あなたならきっと出来るから一生懸命書きなさい、書くことをやめちゃだめだよ」と言われてもっと泣いた。

 

いつになっても、この時のことをずっと覚えていると思う。

 

 

文学を専攻していた大学時代、授業で教授が「茉莉なんて名前はね、その時代としてはとんでもないDQNネームだったんですよ」と言っていた。

わたしもマリという名前でよかった。

 

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占いなんかで愛をはかるように

「疲れてる?」と聞かれて、さすがに嘘はつけない。怒涛の5月に心身ともにクタクタだ。

 

土曜の朝、鹿児島へ。

わたしは福岡県出身だが本籍は鹿児島県魚見町に置いている。

母方の実家が鹿児島なのだ。

 

久々に親戚全員で集まろうという父の計らいで鹿児島に帰ったものの、兄二人は多忙で仕事を休めず、来なかった。本末転倒である。

 

叔母と祖母の二世帯住宅の家に着いて、犬を構いまくる。ダックスフンドを抱き上げて腹に顔を埋める。小さな頭に接吻する。頬ずりする。犬臭い匂いを吸いまくる。

 

そういえば祖母の家の向かいには頭のおかしい人が住んでいる。

マイホーム建設中に奥さんに夜逃げされたおじさんが一人で不気味な家を完成させた。

別段悪さをする訳でもないが、たまに思い出したように物凄くデカイ声で「ネコチャーーーーン!!!」と飼い猫二匹を呼ぶので心臓に悪い。

そのネコチャン達はよく叔母の車の下に身を隠している。

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余った敷地に立つ呪われたドラえもんの置物が異彩を放っている。

 

リビングで寛いでいたら野太い咆哮が聞こえてきて、あまりにしつこいのでイライラして「向かいの人やろ?」と聞いたら裏の人だと言う。

この町は気の狂った人だらけである。

何も無い土地から創造された狂気に圧倒された。

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タイヨーという鹿児島のスーパー。思い出が詰まっている。

 

 

昼過ぎに到着してから10回くらい食べ物を勧められる。

介護ベッドに横たわった祖母が司令塔の如く叔母に「マリになんか食べささんね」と呟く。

久々に帰ってきたので遠慮なく甘える。

「ウィンナーが食べたい。3本だけ。」という要求にも「了解」と叔母は迅速に応えてくれた。丁寧に切れ目を入れて塩胡椒で炒めていた。

わたしが食べると祖母は喜んだ。

 

母方の祖母は一昨年突然倒れ、要介護状態になってしまった。

それまでは自分のことは全部自分でこなし、日々カラオケや旅行や銭湯で大忙しの充実ぶりだった。

病気の影響でボケがはじまってしまったが、元の性格がかなりとぼけた性分だったぶん悲壮感が少ないね、というのが親戚一同の感想であった。

祖母はとにかく適当なのだ。買い物に行こうとバス停に並んでいる途中に全く知らない爺さんと意気投合して一緒にカラオケへ行く。焼き肉屋の駐車場で他人と談笑する。銭湯で知らない人の服と靴を履いて帰ってきて娘(わたしの母)に激怒されるなど、枚挙に暇が無い。

 

しかし、叔母も母もわたしと祖母はそっくりだと言う。 手の形や足の形は確かに隔世遺伝だと思う。

 

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性格も似ているらしい。確かにわたしも適当だ。

 

叔母と母からはLINEの使い方を教えてくれと質問攻めに遭った。

「なんでこの人と会話できひんの?」→ブロックしているから

「どないして電話かけるん」→電話のマークがあるでしょう

など、当人たちは真剣だがどうしようもない質問ばかりだった。

しきりに「ニャーニャー団のスタンプが欲しいねん」と騒いでいた。犬党のくせに。

二人ともバリバリの大阪のおばちゃんなので、黙ったら死んでしまうのかと思うくらい喋り倒している。

 

 

犬二匹はセロリときなこという名前だ。

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セロリが舐め癖が酷く、きなこの耳を舐め尽くしてボッサボサになっていた。

セロリはなんでも舐める。

リビングのテーブルの脚はセロリが舐め過ぎて禿げている。

その事を指摘すると、叔母は「せやねんせやねん、セロリがええ〜感じにしてくれてなあ!なんか舐めさすもんあったら言うてな!!」とまくし立てていた。

 

夜は親戚で焼肉を食べに行く約束をしていた。夕方になると従姉妹家族がやってきた。なにやら玄関でどっと笑いが起きているので見に行くと、私の靴の小ささが面白かったらしく注目されていた。そのサイズでも紐をギュッと結ばないと履けないという事は黙っておいた。

会うのは10年ぶりだった。

わたしが中学生の頃に可愛がっていた従姉妹の子供たちがすっかり大人びていた。高1、中2、小6の全員に身長を越されていた。まだまだあどけない顔で、「小さいね!」と笑っていた。

「大きくなったね」としみじみ言った。

高1の男の子はスポーツの特待生で実業高校に通っていると言う。

 

車で焼き肉屋へ向かう。

田舎はスシローやファミレスがとにかく幅を利かせている。

土曜日の夜の焼き肉屋はいっぱいだった。

 

親戚15人で焼き肉を囲んだ。美味しかった。

その後従姉妹とその旦那さんと近所のスナックに行った。歌いまくった。

めちゃくちゃに酔っ払って、最後の方は知らない女の人の腕の中にいた。

 

ソファで眠っていたら、朝、妙な感触で目が覚めた。

名犬セロリがわたしの足を舐めまくっていた。

 

着替えて祖母宅を出る準備をする。

ベッドに寝ている祖母に挨拶をする。

ボケているしすぐ忘れるから、思いっきり甘えてしまえと思ってベッドに寝転がったり手を握ったりした。

「あんまりお酒飲みすぎないようにしなさい」

「青白いからもっと日の光を浴びなさい」とお告げのようなことを沢山言われる。

最後の最後に、「じゃあね、また来るけんね」と手を振ったら、「あんた、かわいいねえ」と言われて、涙がツンと滲んだ。

忙しくても毎年帰ってこようと思う。

 

 

鹿児島から福岡へ。

父方の従兄弟の結婚式が博多で行われた。

 

挙式前の親族紹介では、うちは新婦側の4倍の人数だった。40人以上の親族を叔父が一人ずつ紹介する。

子供が多過ぎて名前を言うのにまごついていた。それはそうだろう。

 

お嫁さんは従兄弟の9つ下で、とっても可愛い人だった。

そういえばうちはバリバリの喪中である。

しかし奇しくも祖母の命日に入籍して式場も押さえていた為、挙式。

葬式であれだけどんちゃん騒ぎする家系なので喪中など関係ない。

従兄弟は美人なお嫁さんを捕まえた嬉しさか、葬式の際もしきりにニヤニヤしていた。

 

挙式中は泣きそうになった。

従兄弟の震えた声と手があまりにも尊かった。

お嫁さんの美しさに身震いした。

 

披露宴はほぼ子守りだったが楽しく終わった。

件の姪もドレスアップしていてとても可愛かった。久しぶりやねと頭をうりうり触った。

 

退場する時にお花を貰った。

東京から来てくれてありがとうとしきりに言われた。

お嫁さんはお酒が大好きだと言うので、年も近いし一緒に飲もうねと約束した。

初盆が楽しみだ。

 

福岡を去る時はいつも寂しい。

飛行機の手荷物検査のゲートをくぐる時の切なさに胸を焦がしている。

 

披露宴のキャンドルリレーの柔らかな光のことを思い出している。

  

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春を殺して夢は光っている

早朝。帰省の準備をする為に、玄関にだらしなく置かれた大きなキャリーケースを開ける。

中では、はさみやガムテープ、淡い水色のテーブルクロス、プラスチック容器、酒の空き瓶、そして「オー11 僕の天使マリ ばかげた夢」と、マジックで乱雑に書かれたA4の用紙が入り乱れていた。

一週間前の同人誌即売会の余韻が顔を出した。

 

文学フリマ東京、本当にありがとうございました。

色々な人にようやく会えた日だったと思う。

私の本を買う為だけにわざわざ来て頂いた方もいたようで、筆舌に尽くしがたい喜びでいっぱいだった。

画面の向こう側で見ていた人たちが続々と姿を現わにして、不思議な気持ちになった。

細々とやっているこのブログを見てくださっている方が多いようで、嬉しい言葉をたくさん頂く。

わたしが仲良くしているインターネットの人のファンの人まで(くふ王さんや海老沢さんなど)買いに来てくださったりして、SNS、凄い…と絶句した。

 

再三申し上げた通りわたしは人見知りなので、来て頂いた方ともっと上手くお話できたら良かったと悔いている。

ブースでは固い表情をしていたが、終始、本当に嬉しい気持ちでいっぱい。犬だったらずっと尻尾を振っている状態。

 

見本誌を読ませてください、と綺麗な女性がパラパラとページをめくっている時に、その女性に親しげに話しかけながら「1冊ください」と即購入してくださった男性がいた。

その人こそ、こだま著「夫のちんぽが入らない」、爪切男著「死にたい夜にかぎって」の担当編集・高石氏であるということを数日後に知り、西荻窪の喫茶店で震え上がる。

不意にタイムラインに流れてきた自分の本の感想が嬉しくて、何度も何度も反芻している。

 

基本的にはずっと自分のブースにいたので、全然他の人の作品を買えなかったことが悔やまれる…

しかし、10分ほど離席してどうしても欲しかった(&会いたかった)、飯塚めりさんの「喫茶モンスター」のブースへ。

お久しぶりです〜なんてお話をしながら新刊「カフェイン・ガール」を購入、ちゃっかりサインをして頂いた。かわいい、嬉しい…。

その後、めりさんがわたしのブースへ来て一冊買って頂いたので恐縮しっぱなし。ありがとうございます。

 

時間の経過とともに、テーブルに生けてある芍薬の花が開いていく美しさにうっとりした。

売り子の彼女と楽しくおしゃべりしていたらあっという間に終了時刻。

即撤収して高円寺で飲み散らかした。

 

そしてありがたいことに、郵送の希望のお問い合わせが多かったので、友人の助言をもとにネットショップを開設。

現在、東北や関西、九州、沖縄など全国各地から注文がきている。

イベントが終了してから慌ただしく、洗濯すらままならない状態なのでまだ発送ができていない。

週明けには梱包作業に入れると思う。

 

わたしは機械にめっぽう弱い。

Wi-FiBluetoothという概念も正直よく分かっていないレベルのいわゆる「情報弱者」なので、今回パソコンで本を作るのは大変骨の折れる作業であった。

全て自分でやったので、手探りで何度も何度も間違えて転んで、甘ったれの性格がもう嫌だなんて泣き言を垂らしながらもなんとか完成した。

 

決して上手い文章ではない、それでも、誰かひとりの心の琴線に触れることが出来たなら、わたしは報われると思う。

 

会場アナウンスでの「文学フリマ福岡」開催の報せに、ひそかに胸が高鳴った。

故郷をテーマに文章を書きたい。

書きたいことがたくさんある。

わたしはきっと取り憑かれている。それでいい。

 

東京の片隅で、ばかげた夢の続きをみる。

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崇いサポートの礼に

わたし、何にもできない。

 

大人になって押し寄せてきた淡い絶望に何年も何年も泣き腫らしていた。

手に職も無ければ才能も無い。

東京で一人で生活していくうちに孤独の色が濃くなってゆく。

人と向き合えない、上手く話せない。

他人も自分も赦せない。

 

静かに病んでもう駄目だと全部諦めてみたら、うっすらと光があった。

 

好きなことして生きていくなんて絵空事だと思っていたのに、存外、そうでもないみたい。

わたしの好きは濃い。

独りよがりに過ごしていたから、好きなものを突き詰めてきた自信だけはある。

そんなインプットが弾けそうで、徐々に開放してみたら、少しずつ人生の歩み方が分かってきたような気がする。

 

大事なことは何度でも言いたい、わたしは書く事が好き。

本を作るのは子供からの夢だった。

文学フリマ」という、素人でも作品を披露できる場があるなんて、夢にも思わなかった。

小学生の頃の自分に教えてあげたい。

万人に受け入れられたいなんて思わない、好き勝手書いた。

上手い文章とか、そういうのは分からないけど、素直に書けたと思う。

 

当初は別のタイトルで書こうと思っていたけど、いざ入稿したとき、「ああ、なんてばかげた夢なんだろう」と思ったのがきっかけで「ばかげた夢」というタイトルにした。

わたしの頭に咲く夢想。

浮世離れしているわたしの、いちばん柔らかい部分が溢れ出してきた。

事実は小説よりも奇なり、「あなたは持っている」なんて冗談言われながら本当にわたしの周りでは妙なことばかり起きている。

 

 

 

 

取り急ぎスペシャルサンクスの方々へ

 

くふ王さん

わたしが一方的にファンで、東京でお会い出来た時は(わたしの仕事の都合で一時間弱でしたが)本当に嬉しかったです。

ブログを何気なく更新した時、メッセージで感想をくださったことが私の力となりました。

わたしもあなたの文章が大好きです。

今度一緒に文章を書きたいとお誘いしたところ快く受け入れてくださったこと、感謝しております。楽しみです。

これからもよろしくお願い致します。

 

りのちゃん

大好きなお姉さん。

ずっと前から憧れてて、親しくなれて本当に嬉しいです。

泣き言も嬉しい事も全部聞いてくれてありがとうございます。

あなたの関西弁に母の姿を映して、いつも懐かしく思っています、たくさん遊びましょう!

 

 

他方に感謝の気持ちがあるけど書ききれない。

 

畏れ多くて本には書いていませんが、「文学フリマ」という場所を知るきっかけとなった「夫のちんぽが入らない」の著者こだまさん、本当にありがとうございます。

 

 

 

あしたは東京流通センター文学フリマ東京にて11〜17時、終日いる予定です。

よろしくお願いします。

 

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だらしない飲食店で

やっとの思いで外に出て今日はじめての食事をしに来た。

昼過ぎに起きてからアイスコーヒーをだらだら飲んで漫画を読むだけの怠惰な休日を送っていた。

 

昨日赤羽に飲みに行ったら記憶をすっ飛ばしてしまって気付いたら深夜の池袋の路上にいた。

あてもなく駅前を散策していたらルノアールの看板が灯りを灯していて店内も普通に明るく、やってるのかと思って入ろうとしたら営業時間は当たり前に23時までだった。

マツモトキヨシも煌々と光を放っていたが、あれはこれに等しくまぼろしなんだろうか?

夢の中でもがいているような時間だった。

深夜に猛烈に喫茶店に行きたくなる。逃げ場が欲しい。

いつかの深夜3時の江古田サドカフェを思い出す。

 

薄ぼんやりとしていた意識がはっきりと輪郭を見せてきた頃、ようやく疲れ果てたのに気付いてタクシーを拾った。

練馬ナンバーだった。

 

うとうとしながら30分弱揺られて、鍵を開けて自分の部屋を見た瞬間に一気に安心した。

柔軟剤の匂いとかベッドとかギターとか9つの花瓶とか漂白しているカップとか、なぜだか全部が急に懐かしくなった。

わたしは2年ごとに住処を変える。特に意味はない。

でも今のアパートはかなり好きだなと思う。

 

 

そうこうしてるうちに注文していた料理がきて食べた。

近くの席の中年女性三人組が「キウイサワー」を頼んだあと、「サワーってお酒なの?てっきりジュースかと…」と全員で驚いているので周りもびっくりしている。

 

「いらっしゃいませ デニーズへようこそ」

というセリフがずっとリフレインしている。

 

毎年この時期になると酷い喘息の発作が出るのに今年はまだ無い。

昔は咳のしすぎであばらが透けるぐらい酷かった。

 

明日は病院だったかなと手帳を開いたら今日で仕事を辞めて一年になったことに気付いた。

この先もずっと4月30日を祝い続けると思う。